「三十三間堂棟木の由来」(上旬)落語ではなく説教のために作られたネタ本

======ご講師紹介======

松島法城さん(節談説教研究会講師・兵庫県専福寺住職)

☆演題節談(ふしだん)説教「三十三間堂棟木の由来」

ご講師は、松島法城さんです。

昭和2年、大阪市生まれ。

昭和34年に兵庫県篠山市にある専福寺住職を継職。

昭和53年に本願寺派布教使。

そのころ、関山和夫博士の「説教の歴史」や小沢昭一氏のレコードに出会い、節談説教に興味を持ち始める。

昭和59年、当時勤めていた篠山町役場を退職し、現代にあった節談説教を目指し活動を始める。

現在は、節談説教研究会に所属。

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節談(ふしだん)説教というものをお聞きになった方は、ほとんどいないのではないかと思います。

お経は中国を通じて日本に伝わりましたから漢文で書かれています。

漢文を読みくだせるという人はごく少数でした。

それで、お経には何かが説かれているのか、どういうお経をあげたのか。

そしてその心は何なのかをお話してご理解いただくんです。

それが、お説教です。

特に浄土真宗は、お経をお勤めした後、必ずお説教を勤めることになっています。

しかし、普通の口調ではなかなかご理解いただけないし、非常に退屈だということで、先輩たちがそれこそ、地べたをはうようなご苦労をなさって、聞かせどころで節をつけるやり方を作られました。

これが節談説教になっていくんです。

心から三百年ほど前のことになります。

現在では、京都に新京極という繁華街がございますが、その新京極のちょうど真ん中あたりに、浄土宗の誓願寺というお寺がございまして、そこのご住職である安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)というお方が、今でいうお説教のネタ本を作られたんですね。

これが非常に評判で、古典落語の基礎にもなっているくらいです。

岩波文庫から『醒睡笑(せいすいしょう)』という上下二巻の本で販売されており、今でも手軽に手に入ります。

これをご覧頂ければ、今後落語を聞かれたときに、どういう話がもとになっているのかが分かって頂けると思います。

これはもともと落語のネタをこしらえたのではなく、私たちの説教のネタとして作られた本なんですね。

それがずっと節談説教として引き継がれてきたんです。

ところが戦後、高座の上に座って節談説教をするというのは、どうも品格に欠けるのではないかという意見が出て参りました。

それで、大学の先生のように演台でお説教をする方がいいんじゃないかということで、一時この節談説教は自重されることになり、結果かつての勢いが全くなくなってしまったんです。

昭和34年、私は初めて一カ寺を預かることになりました。

ご門徒さんは二十戸ばかりの小さなお寺ですから、町役場に勤めながら、お寺の住職としてのお勤めをさせて頂いていました。

そしてあるとき、先輩から

「お前、その口調なら布教使になれるぞ」

と勧められました。

最初は、人前で話すなんてとても出来ないと言って返事していたんですが、あまりにも多くの先輩から勧められたものですから、布教使に資格だけ取りましょうということで、布教使資格を取りました。

町役場の方は、昭和59年までは引き続き働かせてもらいました。

その後、布教活動に専念するようになるんですが、そのころは関山和夫先生の

「説教の歴史」

という岩波新書の本に出会いました。

その本を読み、私は節談説教に非常に大きな興味を持つようになったんです。

それから、小沢昭一さんの

「日本の放浪芸節談説教」

という10枚組のレコードが販売されまして、それも買い入れて聞きました。

しかし、そのレコードでは、今は不適当と思われる言葉がどんどん出てきてますし、題材も古いものでしたから、その通りにやれるような話でないものも若干あったんです。

ですから、今の世に合うような節談説教にこしらえ直さないといけませんでした。

当時素人だった私にはなかなか難しいことでしたが、それでも少しずつお話を作っていきました。