私のいるお寺では、ご門徒の方が法要の依頼をされる時によくこのように言われます。
『先生、○月○日に○○のおとむらいをお願いします』
ここで出てくる
「おとむらい」
とは、通常
「お弔い」
という漢字をあてることが多く、意味も
「亡き方の追善回向をする」、
すなわち亡くなられた方の心配をして偲んでいく一方で、自分が嫌な目にあったり、祟られたりしないように、という気持ちがこめられていたりします。
浄土真宗においても、
「おとむらい」
という言葉を用いることがありますが、その場合は
「お弔い」
という字はつかいません。
ではどのような字を用いるかといいますと、浄土真宗では
「訪(たず)ねる」
という字をつかって、
「お訪(とむら)い」
と書きます。
では、なぜこのような字を用いるかといいますと、
「訪う」
とは、
「案じ、訪ねていくこと」
という意味があります。
つまり、亡き方の
「いのち」
をとおして、わたしの今の
「いのち」、
そしてこれから
「いのち」
を
「訪ねる」
のです。
亡き方の心配をしていくのではなく、逆に亡き方々に心配をかけてしまうような生き方をしてしまってはいないか?と、自らの
「いのち」
を省みてみるのです。
2010年を終え、2011年という新たな年をむかえる中で、日々忙しい生活になることがなにかと多い私たち。
「生かされている」
という大切なことを忘れ、いろんなことをあとまわしにしてしまっているような気がします。
亡き方が
「いのちがけ」
で私たちを心配してくださっていることを味合わせていただきながら、
「訪い」
の一年を心豊かにおくっていきたいものですね。