『いっさいに対して私は初心でありたい』

新しい1年が始まりました。

本年は、4月より翌年1月にかけて親鸞聖人750回大遠忌法要が京都の本願寺で厳修されます。

この法要を機縁といたしまして本願寺では様々な記念事業が行われています。

その中でも特に大きな事業は、親鸞聖人の御真影をご安置している御影堂の平成大修復です。

10年という歳月をかけてたくさんの方々のご協力により無事、完成いたしました。

その修復された御影堂で、国内外の僧侶・門信徒が集い、法要が厳修されます。

薩摩藩の治世下では、自由にお念仏を申すことのできない念仏禁制の時代が室町時代末期より明治初期までの約300年続きました。

その念仏禁制が始まった頃、織田信長との石山合戦を経て、豊臣秀吉の時代に寺

基を大阪から京都現在地堀川六条に移した本願寺では、御影堂の建立が着々と進められていました。

この話を聞いた薩摩のご門徒方は、是非とも自分たちもお手伝いをさせていただかなければという思いから、命がけで本願寺前の堀川に石垣を築くことを決めました。

その1つ1つに薩摩藩の紋どころである

「丸に十の字の紋」

を刻みました。

しかし、当時は既に念仏禁制の時代です。

このことが知られて、弾圧がさらに厳しくなることを心配したご門徒方は、結局すべてを消すことにしました。

しかし、1つだけあの丸に十の字の紋どころが残されていました。

これが、今でも本願寺に伝わる

「見残しの石」

です。

本願寺にお参りして、この

「見残しの石」

を拝見させていただく度に、当時の先達の方々の命がけのご苦労が偲ばれて、自然と頭が下がります。

今鹿児島では、当たり前のように自由にお念仏を称えることができますが、私たちが今こうしてお念仏を声高らかに称えることが出来るのは、過酷な念仏禁制の中にあって、厳しい弾圧に耐えながら、いのちがけでお念仏の灯火を守り抜いて下さった方々がおられたからです。

改めて、今こうしてお念仏を申す身とさせていただいておりますことに感謝申し上げながら、そのお念仏のみ教えをお伝え下さった親鸞聖人、そしてそのみ教えを喜ばれた先達の方々に深く感謝しつつ、親鸞聖人750回大遠忌法要をお迎えすることです。