『心は行いによって 初めて見える』

昨年の東日本大震災には多くの方々同様、私も驚きと悲しみをうけました。

当時は毎日毎日が東日本大震災の報道であり通常のテレビ番組はおろかテレビCMさえも自粛され流れない状況にありました。

そのとき唯一流れていたCMが

「AC」

でした。

あまりの同じフレームの繰り返しにクレームまでも寄せられてということでしたが、そのおかげで私の思いにも深く残るCMとなりました。

その中で男子高校生が階段で困っているおばあさんを助けて一緒に階段をのぼるCMがあったのを覚えておられますか。

テーマは

「思いやりの気持ち」

そしてCMが訴えたかったものは、

「思いやりの気持ちを持っていても、なかなか行動に移すことは難しい。

しかし、その美しい気持ちは、行為になってこそ、はじめて意味があるということに気づいてもらいたい。」

というものでした。

−あなたの≪こころ≫はどんな形ですかと

ひとに聞かれても答えようがない

自分にも他人にも≪こころ≫は見えないけれど

ほんとうに見えないのであろうか

確かに≪こころ≫はだれにも見えないけれど

≪こころづかい≫は見えるのだ

それは

人に対する積極的な行為だから

同じように胸の中の≪思い≫は見えないけれど

≪思いやり≫はだれにでも見える

それも人に対する積極的な行為なのだから

あたたかい心が

あたたかい行為になり

やさしい思いが

やさしい行為になるとき≪心≫も≪思い≫も初めて美しく生きる

−それは

人が人として生きることだ

これはCMにも一部使われていた宮沢章二さんの詩です。

思いやりの気持ちを形にたとえることはできません。

心も形にたとえることはできません。

しかし私の行いを通じて心は見えるものです。

どうですか。

たとえば心が乱れているとき、私の行いも自然と乱れるものです。

逆に心が落ち着いていると、行いも自然と落ち着いて見えるものです。

そしてなにより心とは行いとして表現したときに初めて見えてくるものなのです。

しかし心を行いにうつすことは意外に勇気がいることです。

でもそれが唯一私の心が相手に届く手段なのです。

私の心もあなたに届いていますか。