絵本を一冊紹介しましょう。
題名は「どれがぼくかわかる?」
カーラ・カスキンというアメリカの女性(お母さん)の方が描いた絵本です。
何があったのでしょうか。
どんな悲しいことがあったのでしょうか。
主人公の男の子(ウィリアム)が、
不安げな顔で、自分で自分の体を抱きしめるような姿で、突然お母さんに尋ねます。
「お母さん、もしぼくがみんなの中にいたら、どれがぼくかわかる?」
お母さんは即座に答えます。
「わかるわ」と。
そうするとウィリアムは、
うま・スカンク・ひつじ・アヒル・ねずみ・とり・うさぎ・いぬ・ぶたなどいろんな動物たちに姿を変えて、そのたびに
「どれがぼくかわかる」
と尋ねます。
お母さんは
「お母さんにはわかるわ。」
とすぐに見つけてくれます。
どんな小さな特徴も見逃さないで、必ず見つけてくれるのです。
「どれがぼくかわかる?」
「わかるわ」
「見つかった」
これを何回も繰り返した後に、
はじめ不安げな顔で自分を抱きしめていたウィリアムは、
笑顔になって頬杖をついて、お母さんの作ってくれたパイを食べます。
お話はこれだけです。
絵本を見るとよくわかるのですが、
はじめ不安げな顔をしていたウィリアムが最後には満面の笑みに変わっています。
自分を抱きしめていた手も、頬杖に変わっています。
その間にあったできごとは、お母さんが必ず見つけてくれたことだけです。
でも、それがウィリアムの不安を消して、安心(喜び)に変えたのです。
見つけてくれたということは、
いつも見ていてくれるということ、
必ずわかってくれているということですね。
そのことがわかった時、どんな不安も吹き飛んだのでしょう。
私たちも、いつでも自分のことを見ていてくれる人、
自分のことを分かってくれる人がいてくれることで、
どんなつらい中でも生きる力をもらえます。
おしゃかさまは
「人が生きることは苦しいことの連続だ」
と教えてくださいました。
生きている限り、苦しいことを避けることができないのです。
不安になることも、やりきれないと思うことも数え切れないほどあるでしょう。
そして、
「誰もわかってくれない」
と嘆くこともあるかもしれません。
きっと、私たちもウィリアム(のよう)になる時があると思います。
でも、たとえウィリアムになったとしても、
私たちには、いつでも見つけてくれた
「お母さん」
がいるのです。
だから私たちは、ウィリアムのように、
また立ちあがって歩みだすことができるはずです。
どんな時でも自分のことを見ていて下さる、
わかってくださる
「お母さん」
の名前を
「あみださま」
と言います。
ほとけさまのお名前です。
さあ、新しい年が始まりました。
今年もまた
「人が生きることは苦しいことの連続だ」
でしょうね。
でも、あみださまがいてくださいます。
見ていてくださいます。
あみださまの慈しみいっぱいのこころに包まれ照らされて、
一歩ずつ歩んで行きましょう。