「教行信証」の行と信(5月前期)

1.蓮如上人の思想と『教行信証』

 浄土真宗、殊に西本願寺においては、中興の祖と讃えられる蓮如上人の影響力は極めて大きく、そのため

『教行信証』

を学ぶに際しては、蓮如上人が説かれた

「信心正因称名報恩」

の思想を重ねて解釈することが求められています。

そのため、蓮如教学についての理解を抜きにしては

『教行信証』

を理解し難い状況にあるとも言えます。

そこでしばらく、蓮如上人は浄土往生の問題をどのように考えておいでであったのかということについて、その中心問題である信心と念仏の関係を通して窺うことにします。

 蓮如上人は、往生に関して信心と称名の問題をどのように見ておられたのでしょうか。

最初の問題は、称名と往生の関係です。

この称名と往生の関係に関しては、

「信心正因・称名報恩」

の義が明確に打ち出されています。

これは、称名に往因を見ないということです。

この見方に立って称名を問題にしますと、だいたい次の三点に注意をする必要があります。

第一は、浄土真宗では称名念仏以外の行はないのですから、南無阿弥陀仏を称えること以外の行、及び自力の行を完全に捨てよというのが、蓮如上人の教えの柱のひとつです。

称名念仏以外の行、及び自力の行を完全に捨てよというのが

「領解文」

「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて」

といわれる言葉です。

第二は、無意味な称名の否定です。

例えば演劇とか映画によく念仏が出てきますが、これらの称名念仏は往生には関係ありません。

そこで信心の伴わない口先だけの称名は厳しく否定され、そのような念仏を往生の問題にからめてはならないとされます。

第三に、称名念仏は信を得た上での念仏でなければならないとされます。

真実の念仏は必ず信をいただいた上での念仏であることが強調されるのです。

このように、蓮如上人の念仏は三つの柱を立てて考えるとよく理解することが出来ます。

そこで、信心と往生の関係を問題にしてみます。

「信心正因」

ですから、往生は信心によって決定します。

この往生は信心によるという教えは、親鸞聖人の教えの流れからして当然のことなのですが、ここで蓮如上人と親鸞聖人との間にはひとつの大きな違いがあるように思われます。

それは、親鸞聖人の場合は、

「難信」

ということが非常に強調されているのですが、その難信に対して蓮如上人の場合は、むしろ

「易信」

という点に重点がおかれています。

つまり、蓮如上人にあっては

「信心は得易い」

という表現で、教えが展開されるのです。