2.阿弥陀仏とその浄土
そこで具体的に『教行信証』の内容に入っていきます。
最初に『教行信証』はどのような構造を持っているかということについて少し考えてみます。
『教行信証』は、最初が
「総序」で、
次が
「教巻」
です。
その
「教巻」
の冒頭は
つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の廻向あり。
一つには往相、二つには還相なり。
往相の廻向について真実の教行信証あり。
という言葉で始まります。
ここに
「浄土真宗」
の教えの根本が述べられているのですが、ではいったい浄土真宗の教えとは何なのでしょうか。
ここにいわれている浄土真宗とは、阿弥陀仏の教えだと考えることができます。
阿弥陀仏の教えが浄土真宗だと見ればよいのです。
では、阿弥陀仏の教えとは何でしょうか。
この教えは、二つの部分から成り立っています。
一つが往相(おうそう)の廻向で、他は還相(げんそう)の廻向という二つの部分から阿弥陀仏の教えが出来上がっているのです。
ここで、往相ということと還相ということ、そして廻向とは何かが問題になります。
往相とは、私が往生するすがたです。
この私の往生については、既に蓮如上人の思想で明らかなように、私が往生するのは、私の力ではなくて阿弥陀仏の力によって往生するということでした。
これが、浄土真宗の考え方の基本です。
そうしますと、往相の廻向の
「廻向」
は、阿弥陀仏が私たち衆生を往生せしめるはたらきということになります。
このことは還相も同じで、衆生を還相せしめる阿弥陀仏のはたらきということになるのです。
阿弥陀仏の大悲心とは、つまるところ衆生を浄土に往生せしめ、また穢土に還相せしめる
「廻向の働き」
ということになり、これが浄土真宗の教えのすべてになるのです。
そしてこの往生廻向の中に、教・行・信・証があるといわれるのです。
つまり、真実の教・行・信・証がこの弥陀の廻向の中に見られるのです。
そこでまず問題になるのは、ではその阿弥陀仏とはどのような仏なのかということです。
また、阿弥陀仏の浄土とはどのような浄土か、ということになります。
阿弥陀仏とその浄土について、親鸞聖人が書かれているのは
『教行信証』
の中では
「真仏土巻」
です。
「真仏土巻」
は漢文で書かれていますが、その他に和文で書かれた和語の聖教の中にも阿弥陀仏とその浄土について説明しておられるところがあります。
浄土については
『唯信鈔文意』
の善導大師の
「極楽無為涅槃界」
という言葉を解釈する中で、阿弥陀仏の浄土とは何かが説かれています。
また阿弥陀仏については、お手紙の
「自然法爾章」
の中で端的に示されています。
親鸞聖人の浄土についてのお考えですが、
「浄土真宗」
という仏教が意味する浄土とは
「真仏真土」
ということで、
『教行信証』の
「真仏土巻」
では、その冒頭で阿弥陀仏とその浄土を光明無量であり、寿命無量であると述べておられます。
したがって、親鸞聖人がとらえておられた真仏真土とは、光明が無量であり、寿命が無量である仏身・仏土だということになります。