お釈迦さまのご生涯を窺いますと、大切な出来事はいつも
「樹」
によって彩られているような感じがします。
伝記によれば、誕生されたのはカピラ城郊外のルンビニー園の無憂樹の下です。
そして、悟りを開かれたのはガヤー村の菩提樹の下。
亡くなられたのは、クシナガラ郊外の林の中の沙羅双樹のもとです。
このように、生涯の要とも言えるところは、全て
「樹」
で語られています。
考えてみますと、樹は
「いのち」
を最もよく象徴しているものだと言えます。
なぜなら、樹は育って行く過程において自らが育つだけでなく、そのあらゆる部分において、具体的には根においても幹においても枝葉においても、いろいろないのちを養い、あるいはいのちを住まわせています。
まさに、一本の樹という世界、その場所に多くの
「いのち」
が集い、共に生きることが出来ています。
そうすると、たとえ一本の樹であっても、それはその世界の全体をいのちとして生きているということを象っているのが、
「樹」
なのだと言えます。
「倒木更新」
という言葉を本で読んだことがあります。
北海道の蝦夷松は、毎年たくさんの実を地面にまきます。
そして、春になると大地から多くの芽が顔を出してきます。
けれども、北海道の自然はことのほか厳しいので、大きく育っていくことが出来るのはその内のほんの少しで、大半は途中で枯れていってしまうのだそうです。
ところが、寿命が尽きて倒れてしまい、それから年月が経って、やがて腐食してその表皮に苔が生えているような樹の上に落ちた種は、その倒れた樹に守られて根を下ろし、樹の腐った内部のところから栄養をもらいながら育っていくのだそうです。
そのようにして成長した樹は、その一本の倒れた樹の長さにわたって、同じ高さで若い樹が整然と一列に並んで育っているので、誰が見てもそれだと分かるとのことです。
寿命が尽きて倒れて、そして大地に還っていく樹のぬくもり、樹のいろいろな力を受け取って、新しい芽が育っていく。
そして、育った樹が次第に大きく育っていくと、今度はその倒木を大きく育った樹の根がしっかりと、言うならば抱き抱えるようにして伸びてゆくのだそうです。
ですから、どれだけ成長していっても、元に倒れていたその樹は、ずっとそこに抱えられて、共に生き続けて行くという姿をしていると言われます。
もしかすると、私達が生きているということも、やはり
「倒木更新」
と同じなのではないでしょうか。
私たちは、決して自分一人の力で大きくなれた訳ではありませんし、生きて行ける訳でもありません。
実にたくさんの亡くなっていかれた方々の存在やいのちに守られて、私達は今日ここまで何とか生きてきたのです。
にもかかわらず、私達はともすれば、まるで自分だけの力で成長を遂げたかのように錯覚していることがあったりします。
そのような私達に、いのちの厳粛さと、いのちの限りない営みの長さ深さというものを、
「樹」
は教えくれているように思われます。
言うならば、いのちの世界を丸ごと生きる、いのちを自分の思いで切り取って、自分の思いのところで生きるのではなくて、いのちをいのちの世界のあらゆるつながり、あらゆる広がりのままにこの身いっぱいに頂いて生きて行く。
そこに、自分を生きていくことが、一歩一歩において、私を生かしてくださっている世界や歴史に出会い直していくという歩み、すなわち
「知恩」
のいとなみがあるということが、窺い知られます。
お盆には、多くの方が、直接存じ上げている方ばかりでなく、先祖の方々にも心を寄せていかれます。
そのため、殊にお盆には、仏前に座り手を合わせて
「南無阿弥陀仏」
と念仏を称えると、そこに亡き方も先祖の方々も、こうして同じく
「南無阿弥陀仏」
と念仏申されていたことが偲ばれるのではないでしょうか。
私は、倒れた木が自らの全てを捧げて新しい樹のいのちを育み、一方新しい樹は成長するにしたがって倒木を包み込むようにして共に生きていく、
「倒木更新」
といわれる光景が、今こうして有縁の方々とお念仏のみ教えによって結ばれていることと重なるような気が致します。
私を育み、尊いお念仏のみ教えに私を結びつけてくださった有縁の方々とのいのちの絆を喜び、そのご恩に少しでも報いることが出来るような私になれたらと思うことです。