現代社会を生きるということは、けっこうしんどいものがあります。
なぜならば、人生で名を成した方は、一応に
「あなたの個性を生かせ」
「人生に目標をもって生きよ」
などと、これから人生を歩み出そうとする人たちには、何かと刺戟的な言葉であおり立てる傾向にあるからです。
すると、仕事や人間関係に悩みを持つお互いは
「今のままではいけない」
「もっと自分らしく生きなければ」
と、背中を押されるようにして、自分探しの旅を始めます。
確かに
「自分らしく」
生きることが出来れば素晴らしいことなのですが、それではどう生きることが
「自分らしい」
のか、そもそも
「自分とは何なのか」
と問うていくと、何か曖昧でよく分からなくなってしまいます。
「自分らしさ」
を自分自身で見つけられる人もいるのでしょうが、自分では見つけられない人もいます。
自分では分からなくても、周囲との関係性の中で
「自分」
が感じられ、
「自分らしさ」
に気付くことがあります。
「それって、あなたらしいね」
と他人に言われて、
「私ってそうなんだ」
「私はそう見られていたのか」
と、初めて
「自分らしさ」
に気付かされることもあったりします。
唐突ですが、例えば
「幕の内弁当」
を通して考えてみましょう。
幕の内弁当は、一つの箱の中にご飯とさまざまなおかず(副食)が一緒に詰められています。
おかずは、蒲鉾、玉子焼き、焼き魚などバラエティー豊かですが、特にどれが一品の主役ということはありません。
西洋料理には、必ず主役の一品(豚カツ等)がありますが、幕の内弁当は箱の中にいろいろな種類の食べ物を詰め合わせた食事といえます。
このような取り合わせは、日本独特のもののようです。
蒲鉾、玉子焼きなど、それぞれが個性を持ち、お互いがお互いを認めつつ、
「自分らしさ」
を表現しています。
これは必要、これはいらないと取捨選択をしません。
相互に関係し合い、引き立て合っているところに
「蒲鉾らしさ」
「玉子焼きらしさ」
があります。
「ありのままの自分」は、
「自分だけの私」
だけでなく、
「他者の私」
でもあるのです。
「ありのままに生きる」
「自分らしく生きる」
ことが、どう生きることなのか見つけられなかった時、与えられたことの中で生きる、求められたことの中で生きることもまた、選択肢の一つなのです。
自分らしく生きようとするあまり、周囲との関係性を断ち切ってしまわず、努めて周囲とつながって生きてみてはいかがでしょうか。
そうしますと、どのような状況にあっても、生かされていく道はおのずと開かれてくると思います。