「誰じゃ」姿は見えない。
門をへだてて、中にいる侍が訊ねた。
「砂金売りの吉次と申しまする。
お館様か、御奥の方に、さよう、おつたえ下されば、おわかりでございまする」
「吉次?」考えているらしい。
雨あがりの草むらに、虫が啼きぬれている。
吉次はまた、ことばを足して、
「――奥州の堀井弥太と仰ってくだされば、なおよくお分かりのはずでございます。
かねがね、ご書状をもちました」いいかけると、ガタンと、門の扉がうごいて、
「秀衡殿のお身内人、堀井殿か」
「いかにも」
「それは、失礼を――」すぐ開けて、
「拙者はいちも、おん奥の御代筆を申し上げ、また、そちらよりの御書面にも、拙者の宛名で御状をいただいておる、当家の家来、侍従介でござる」と二十歳ぐらいな若侍が顔を出した。
「や、そこもとが」
「初めて、御意を――」二人は、旧知のように、あいさつを交わした。
「おん奥の方には、先つ頃、上洛しました節、清水の御堂のほとりで、よそながらお姿を拝したことがござりますが、お館には、今宵が初めて」
「よう御座った、まず」と、内に入れて、侍従介は、門を閉めた。
壺の内も外も、境のないほど、秋葉が生しげっている。
まだ、萩に早く、桔梗も咲かぬが、雨後の夜気は、仲秋のように冷え冷えと感じる。
召使も、極めて少ないらしい。
侍部屋へ通されて、吉次は、畏まっていたが、燭を運ぶのも、茶を煮てくるのも、みな侍従介たった。
しかし、ここに入ってから感じたことは、外から見たようすとはちがって、なにか、あいあいとした和やかな家庭味というものが、さすがに教養の高い藤原氏の住まいらしく、身をくるんでくれることだった。
あら削りな武人の家庭や、でなければ、浮浪の餓鬼の生活にしか接していない吉次には、(やはり、ゆかしいものがある…)と、そこらの調度や、どこかでくゆらしている香木のかおりにも、そう思えた。
「失礼いたした」侍従介は、座に着いて、
「実は、ちと、お館におとりこみがござるので」
「ほ」吉次は、途中で耳にした噂を想いだして、
「どなたか、ご病人でも」
「なんの」と笑った。
その侍従介の明るさに、彼は、むしろ意外な気持ちがした。
「およろこびごとでござる。
――この春、承安三年弥生の朔(つい)日(たち)、珠のようなお子様が、お生まれ遊ばしたのでござる。
それがため御当家は百年の春がめぐったように、お館様も、おん奥の方も、御一門の若狭守様も、宗業様も、朝に夜に、お越しなされて、あのとおり、奥でのお団欒(まどい)。
折から今宵は、お食べ初めとやら、お内輪の祝いでな」
吉次は、そう聞くと、とたんに、ここへ来る前に見た、屋の棟の光を想いだしていた。