小説 親鸞・乱国篇 第一の声 10月(10)

「で……お目通りはなりかねるが、貴所の来られたこと、お取次はしておいた」侍従介は、そういった。

しかし、吉次の用件よりは、彼自身、一緒になって、主家の慶事にほくほくしていて、すぐ、そのほうに、話題をもどすのだった。

お子は、いと健やかで、貴相気高く、珠のような男子(おのこ)であること。

また、おん名は、母御前の君が、胎養のうちに、五葉の松を夢見られたというので、十八(まつ)公(ま)麿(ろ)君と名づけられたということ。

また、十二カ月も、御胎内にあったということ。

それから――母の吉光御前が、なみなみならぬご信仰であったせいか、御入胎の前に、如意輪観世音のお夢を見られたり、そのほかにも、いろいろな奇瑞があったということ。

そしてまた、さる聖(ひじり)が、わざわざ訪ねてきていうには、今年は、釈尊滅後二千一百二十二年にあたる。

あるいは、霊夢やもしれぬ。

松は十八松と書く、弥陀正因本願の数に通じる。

この嬰児(やや)こそ、西方弥陀如来のご化身ぞとおもうて、よくよく慈しまれたがよい――と、母体の君の枕べを、数珠をもんで伏し拝んで去ったということ。

彼の話は尽きない。

吉次も、耳よりな話と、心にとめて、聞いていた。

鞍馬の御曹子に告げたならば、さだめし、一人の源家の味方が増えたと、力づよくも思われよう。

すると、奥まった東の屋で、

「侍従介」と、誰やらが呼ぶ。

「はい」会釈して、彼は、立って行った。

この次、遮那王に会う時には、ちと、渡して欲しい物があるゆえ、立ち寄ってもらいたい――と、かねて、吉光御前からの書面の約束で、吉次は、来たのであった。

(お従弟へ、渡してくれとは、いったい何かな)吉次は、しびれた足を、少しくずして、待っていた。

そして、吉光御前の、初産の美を、そっと、瞼(まぶた)で想像した。

一度、二度、清水のあたりで、姿はよそながら見たことがある。

まだ、年もお若いはずだ。

人妻でこそあるが、まことに、清純な麗人でおわした印象が今もふかい。

気品においては、源家の正統、鎮守府将軍源義家の嫡男、対馬守義親の息女、言い分のあろうわけはない。

同じ、義家将軍を祖父として、源義朝は、いうまでもなく、彼女の従兄にあたるが、その義朝こそは、平相国清盛の憎悪そのものであった。

幸いといおうか、不幸といおうか、彼女は、見るかげもない不遇な藤家に、十五の年から嫁(かた)づいていたので、まさしく相国の仇敵義朝の従妹ではあったが、清盛の眼には、そのために、無視されて、無事のうちに暮らして来られたのであった。

無視の中から、十八公麿は生まれた。

――のちの親鸞聖人である。

もし、彼女の良人である有範朝臣が、時めく才人であるか、政権をめぐる時人であったらば、十八公麿は、生まれていなかったかもしれない。

なぜならば――その前に、吉光御前の血筋は六波羅の忌むところとなって、義朝の子たちである――頼朝や遮那王(義経)のような厳しい追放を受けないまでも、何らかの監視と、束縛に、家庭は呪われずにいなかったに違いないからである。

「や。

お待たせした」侍従介は、やがて何やら、小筥(こばこ)を持って入ってきた。