『生死無常のまま年暮れる』(後期)

つい最近、例年のごとく紅白歌合戦の出場者が発表になりました。

私のお気に入りは、初出場の

「きゃりーぱみゅぱみゅ」さん。

小林幸子さんも、美川憲一さんも出場しない中、どんな衣装で登場するのか今から楽しみです。

年末の晩は、家族そろって、こたつに入り、ミカンを食べながら紅白歌合戦を見る。

そんな家庭が多かったのはいつまででしょう?

年末年始は、会社もお店も休み。

みんな故郷へ帰って家族と過ごす。

そんな当たり前だったことも,今や昔のことのように思えるのは私だけでしょうか?

世は常に移り変わっていくもの。

その時代のニーズがあるのでしょう。

いたしかたないことです。

仏教では、つねに移り変わることを

「無常(むじょう)」

という言葉で表します。

私たちも、世の中も、常に変化し、とどまることなどできないということです。

今日という日は二度と来ない。

今という時間は、今しかない。

決して、戻ることも、立ち止まることもできない時間(とき)を私たちはいただいている。

それが

「生きる」

ということなのです。

 私をはじめ、いのちいただいたものすべて、

そのいのちを終えるとき、すなわち

「死する」

ときがきます。

常に変化し、とどまることのない

「生(しょう)」

を生きているからこそその

「生(しょう)」

の終わるときにみな

「死」

を迎えるのです。

生死無常(しょうじむじょ)

立ち止まることのできない

「生(しょう)」

必ずおとずれる

「死」

そんな尊くも、はかない

「いのち」

をいただいて生きる

いのちをいただき、生きる喜びの中で

終えゆく年暮れを過ごしたいものです。

一日一日のいのちを大切に生きる。

その一日一日の積み重ねが、私(貴方)の一生となるのです。

南無阿弥陀仏