小説 親鸞・乱国篇 12月(2)

ここには、諸悪の魔も、ひそむ蔭がない。

明るさで、いっぱいだ。

「どれ、私に少し」

宗業が、抱きとると、

「わしにも、抱かせてみい」

眠っている十八公麿を、手移しに、膝へ取って、

「重うなったの」

父の有範は、

「そうじゃろう、凡(なみ)の子よりは、ずんと健やかじゃ」

と、自慢気である。

するとまた、吉光の前は、

「もう、何か、ものをいうてもよいころではございませぬか」

案じ顔にいった。

「ははは、今も兄上と、途(みち)途(みち)話したことですが、まだまだ」

「まだでしょうか」

「ご心配はない」

「でも、かた言ぐらいは」

「泣けば、よいのです。

泣くことは、泣くでしょう」

「時々、耳のひしげるような大声で、泣きまする」

「それでいい」

有範はべつに気にしてはいなかった。

何よりも、膝にのせると、ずっと重いものを感じるこの子の健康さに信頼ができる。

親ごころに、おしかと案じればおしのように思えるほどきちりと結んでいる唇は、なかなかあかなかったけれど、眸は、つぶらで、よく澄んで、青空のような白眼のうちに耀(かがや)きをもって、この世への意志をみひらきかけている、そして、眠る時は、ふかぶかと、濃い睫毛(まつげ)をふせているのだった。

「大丈夫じゃ」

父みずからが、こう、折紙をつけていた。

けれど――やがて、翌年になった。

まる一年の誕生日がくる。

かぞえ年では、二歳になったのだ。

夏もすぎ、秋にもなった。

ところが、それにもかかわらず、十八公麿はまだ、ものらしい言を唇からもらしたことがない。

乳母は、ようやく不安らしい眉をひそめて、侍従介へ、

「和子さまは、やはり、おしでいらっしゃるかもしれません」

そっと、洩らしたというし、父の有範も、

「よいわ、五体さえ、そろうていれば」

と、かなしい諦めをもちかけて、妻に気を落とさせまいとした。

誰ともなく、出入りする雑人のあいだにも、

「日野のお館に生まれ嬰児(やや)は、おしじゃそうな」

と、噂された。

母性の人には、それが、冷たく聞こえた。

彼女もまた、そう信じて、

「なんの因果」

と、悲しみ沈んだが、子にない不幸をなげいて、如意輪観世音に、

(どうぞ、夫婦に子を)と、祈願をこめたことを忘れて、授かった珠に、わずかな、瑕(きず)があったからというて、不平をいうのは慾(よく)のふかさというものであると思った。

ことには、自分の血液というものも考えだされた。

源家の義親や、従兄の義朝が殺した人間の数だけでも、千塔万塔を建ててもおよばぬくらいな罪業であろう。

その血統(ちすじ)の末に、ひとりのおしの子が産まれるぐらいは、諸行応報のさばきから遁(のが)れ得ない人間の子としては、むしろ慈悲のお酬(むく)いと、有難く思っていいのではないか。

彼女は、そう考え直した。

だが、母性としての悲しみは、依然として、悲しみであり、世間へも良人(おっと)へも、いいしれない追(ひ)け目を感じて、その憂いは拭うことができなかった。