小説 親鸞・かげろう記 12月(6)

「ここにも、お見えがない」

侍従介は、いつもの持仏堂をのぞいて、乳母を、責めた。

「おぬしが、よくない。

朝麿さまを抱いておれば、朝麿さまにのみ気をとられているから、かようなことになるのだ」

「今しがたまで、そこの前栽(せんざい)に、おひとりで遊んでおいでなされたので、つい、気をゆるしている間に……」

乳母は、自責に駆られながら、おろおろといった。

「――裏の竹(たけ)叢(むら)へでも」

とつぶやきながら、走って行った。

侍従介は、眉をひそめながら、草履を突っかけて、ふたたび、庭へ下りた。

――そして邸内の畑だの、竹林だの、小山だのを、

「和子さま――」

呼びたてつつ、そしてまた、奥のおん方やお館の耳へは入れたくないように、心をつかいながら、血眼で、十八公麿のすがたを探しまわっていた。

ちょうど、折もわるく。

東の屋(おく)の一室に、あるじの有範は、この安元二年の正月から病にかかって臥せ籠もっていたのである。

そのために吉光の前も良人の病室から一歩も出たことがないような有様であったので、それも一つは、こういう間違いの起る原因でもあった。

で、召使たちは、よけいに心を傷めて、病室にこの過失を知らすまいと努めたのであったが、ひとつ館のうちの出来事ではあるし、そこへ呼ばれてきた侍女(こしもと)の素振りにも不審が見えたので、母である彼女が覚らないはずはなかった。

「十八公麿のすがたが見えぬとて、そう、噪(さわ)ぎたてることはない」

侍女のことばを窘(たしな)めて、彼女は、静かに良人の枕元を離れた。

彼女もまた、それを知るとすぐ、病人の心づかいを惧(おそ)れたからであった。

廊下へ出て、

「まさか、築地をこえて、館の外へ走り出しはすまい。

行けの中の渡殿を見てか?」

「はい、あそこも、探したようでございます」

「池の亀を、面白がって、よう汀(みぎわ)で遊んでいることもあるが、よも、水へ落ちたような

「そんなことは……」

侍女(こしもと)も、落ち着かない。

そして自信のないことばつきで、答えるのである。

「穿物(はきもの)を、だしてください」

沈着に、静かなことばでそういうのであったが、さすがに心のうちでは胸が痛いほど案じられているらしい。

廊下の階(きざはし)に立って、侍女が、穿物(はきもの)を持ってくるまも、もどかしげにその眉が、見えた。

すると、

「姉君、どちらへ?」

前栽の木陰から、誰か、そういって、近づいてくる者が見える。

橡(つるばみ)色(いろ)の直衣に、烏帽子(えぼし)をつけた笑顔が、欄干(おばしま)の彼女を見上げて、

「ひどく、お顔いろがわるいが?……。

それに、介も見えず、裏の木戸も、開け放しになっているではありませんか」

「宗業様、よい所へ来てくださいました。

……今、十八公麿が見えぬというて、介も乳母も、出て行ったところでございます」

「えっ、和子の姿が、見えなくなったと申すのですか」

「このごろ陸奥(みちのく)の方から、人買いとやら、人攫(ひとさら)いとやらが、たくさん、京都(みやこ)へ来て徘徊(うろつ)いているそうな。

もしものことがあっては、良人の病にもさわりますし、私とても、生きたそらはありません」

といううちに彼女の眸は、もう、いっぱいに沽(うる)んでしまう。