「はての?」
彼女は首をかしげた。
名も告げずに、投げこんで行った文とは、一体誰からよこしたものであろう。
さし当たって、思いあたる人もうかばないように、封を解いた。
燭を寄せて、読み返していたが、やがて、吉光の前は、ほっと嘆息(ためいき)をもらして、つぶやいた。
「まあ、とうとう、鞍馬を下山(おり)てしまわれたか。
――あの稚子ばかりは父御の末路を踏ましとうないと祈っていたが」
範綱は、さしのぞいて、
「誰からじゃ?」
と、たずねた。
「めずらしくも、鞍馬の遮那王から――」
「なんというて?」
「どうして、あれほどきびしい平家の付人の眼を晦(くら)ましたか、関東へ逃れて、身を潜め、今では、奥州(みちのく)の藤原秀衡の懸人(かかりゅうど)になっているとやら……」
「では、噂は嘘ではなかったとみえる。
ひところ、鞍馬の遮那王が逃げたと、やかましい沙汰であったが」
「よもやと疑っていましたが……これを見れば、元服して、名も源九郎義経と改めたと書いてありまする」
「血をあらそえぬもの」
「野心のある豪族に、利用されるのでございましょう。
……それにつけても十八公麿の行末(ゆくすえ)が案じられます。
十八公麿のどこかにも、源氏の血がひそんでいるのではないかと」
「そう取越し苦労はせまいものじゃ。
また、源家の血が呪われた末路を踏むものとばかりは限らぬ。
白いか、紅いか、咲いてみねばわからぬ」
「どうか、平和で、静かで、風にも散らぬ樹となり、花を結ぶよう――」
母性のうれいを眸にこめて、隣の室の隅をながめた。
燈心の光の下に、十八公麿は、眠るのを忘れて、まだ草紙に文字を書いていた。
「麿よ」
「はい」
「もう、お寝(やす)みなさい」
「はい」
「また、あしたにしたがよい」
侍女(こしもと)が来て、彼の衣服を脱がせた。
そして、十八公麿がすなおに帳の蔭の衾(ふすま)にかくれると、間もなくであった。
小侍が、足早に、
「お館様」
と、よんだ。
「なんじゃ」
「新大納言様からのお使者がみえられて、ぜひお目にかかりたいと仰せられます」
「お使者が」
「お通し申しますか」
「この深夜に、成親卿のお使いとは……」
いぶかしげに、考えていたが、
「ま、ともあれ、ご鄭重(ていちょう)に」
「かしこまりました」
小侍が去ると、すぐ立って、範綱は、客室へ出て行った。
客室には、二人の侍が、威儀をただして待っていた。
主の会釈をうけると、
「てまえは、北面の兵衛所に詰めております多田(ただの)蔵人(くろうど)と申す者です」
次席の侍も、それに次いで、おごそかに、
「同じく、北面の武士、近藤右衛門尉師(こんどううえもんじょうもろ)高(たか)と名乗った。
※
「衾(ふすま)」
=布で作り寝るときにかけた夜具。