友引にお葬式をしてはいけないのですか?

友引は「友を引く」と書きますので、

その日に葬儀をすると死者がこの世の人(友)を引っぱり、さらに死人が出るのでは、という思いからその日は葬儀を避けたほうがいいとお考えになる方がおられるかもしれませんが、それはたわいもない迷信にすぎません。

ただの文字の連想であり、仏教的には何の因果関係もありません。

しかも「友引」とは、日の吉凶を占う「六曜」の一つなのですが、

本来は「友引」ではなく「共引」であり、

意味も「共に引き合って勝負なし」

すなわち

「良くも悪くもない」ということなのです。

したがって気にする必要は一つもありません。

そうは言っても、親戚など周りの人を気遣い

「皆が嫌がっていることを無理にしなくても……」

と思われるかもしれませんが、これも心情的にはわからないでもありませんが、よく考えるとやはりおかしいと言えるでしょう。

つまり、たとえ間違っていると思っても、

「皆がするから自分もする」という理屈になります。

すなわち自らの意思判断の放棄であります。

その他にも葬儀には、実に様々な迷信や俗信があり、それらは世間的に深く浸透しています。

これらは、「死は穢れ」という考え方から起こったものです。

しかしどれほど死を穢れと扱ったり、遠ざけようとしようとも、紙に必ず表と裏があるように、生と死は表裏一体、私にとって避ける事の出来ない大事な問題です。

葬儀という身近な人の死という現実の中で、死という事実を静かに受け止め、深く考え見つめていく事が、今、生かされて生きている私の責任であり、人間としての大切な生き方であると仏教は教えてくれます。

何の根拠もないことに身を煩わせ、振り回されるのでなく、お手次ぎのお寺のご住職と相談をされるなど、

「聞法」を中心とした中でともに考えていけたらと思います。