小説 親鸞・紅玉篇 2月(1)

院の御座所をさがってくると。

範綱はすこし眉をひらいた。

法皇の御けしきによっては。

ずいぶん、面をおかしても御諫言(ごかんげん)するつもりであったが、

(さすがは、老練でいらせられる、あの御炯(ごけい)眼(がん)ならば――)と、まずまず、安心して、いわんとすることは、暗示ぐらいな程度にとめて、御簾所(みすどころ)を退がってきたところであった。

院を中心にして、策動し、流言し、暗中飛躍をする無数の政客や、武人や、策士を、法皇はやはり高い御座(みくら)のうえからよく観ておられると、今さら心服するのであった。

もっとも、保元、平治の動乱期にあって、法皇ほど、御苦労もなされ、また、人間の表裏反覆と、烈しい権力の争奪を眺められたお方はない。

そういう法皇を奉じて、まだまだ、衰(すい)兆(ちょう)の見えない平家を廟堂から追い落とそうなどとして、所詮、躍るもの自身の自滅以外、何らの運動となるわけのものではない。

まして、それが私怨と私慾の不平から結ばれた策動であるにおいては、言語に絶した不忠な悪(わる)謀(だく)みである。

法皇の御運命がそういう野望家のために決しられるようなことでもあっては断じてならない。

範綱の意志は、そこに決まっていた。

――だが、それを極言するまでもなく、法皇御自身が、院の内外にうずいている野心家の空気と、野心家の性格とを、ことごとく知り抜かれているようなので、

(このぶんなら――)と、彼は、自分の取越し苦労を、むしろ恥じて、

(くれぐれも、御自重)と、ばかり奏して、あとは、いつもの和歌の話などをして、心までが、はればれとしていた。

南苑(なんえん)の橘には、春のよごれを降りながした雨あがりの陽が強く照りかえしていた。

伶人たちが、院の楽寮(がくりょう)で、楽器をしらべているし、舎人(とねり)たちは、厩舎(うまや)の前にかたまって、白馬に水を飼っていた。

「六条どの」

後ろで呼ぶ者がある。

廻廊の曲がり角に、待っていたように佇んでいた男だった。

「―――おおこれは」

見ると、故少納言信西の息子、浄憲法師という、才子で、人あたりがよくて、そして院のうちの切れ者といわるる人物だった。

時々、歌の詠草などを届けてよこして、評を求めるので、そのつど、歌はみてやるけれど、範綱とは、べつな世界に生きている人間であって、いくら永く知ってはいても、ほんとの知己にはなれないでいる男だった。

にやりと、浄憲は寄ってきた。

何ということもなく、欄へ誘って丸柱に、背をもたせながら、

「何か、御内奏でもあって、御伺候かの?」

と、そろりと探りを入れる。

「いや、相かわらず、歌よみは、歌よりほかにはお相手のしようものうて……」

範綱も、そっと、逃げると、浄憲はねちねちとした眼で、ぶしつけな正視を相手へ与えながら、

「ほ……。

それにしては、だいぶ、お永い話であったの」

「きょうは、御興にいったとみえて――」

「歌の話に、お人ばらいまでせらるるとは、ご入念なことだ」

「…………」

「ときに」

と浄憲は、すり寄ってきた。

そして、範綱の耳のそばで、

「新大納言の君から、なんぞ、そこもとにも、耳うちがあったはずがだが……」