「日本人の心」(上旬)日本の社会はいつのまにか短調排除の時代になった

ご講師:山折哲雄さん(国際日本文化研究センター名誉教授)

今から二十年以上も前、ある大新聞の投書欄に若いお母さんからの投書がありました。

「このごろ、自分の子どもに子守歌を聞かせているんだけれども、そのたびに子どもはむずかりだす。おかしいなと思って、また日本の伝統的な子守歌を歌って聞かせると、今度は布団の中にもぐり込んで激しく泣きだした。どうしても理由がわからない」

その数日後の新聞に

「あの子守歌の投書を契機に、全国から同じような悩みを持つお母さんからの投書が本社に殺到した。これは単なる偶然ではないと思い調べ始めたが、どうしても理由がわからない」

との報告記事が載りました。

しばら気にしながらもそのままにしておいたところ、翌年、同じ新聞に藤原新也さんという作家が、このことについて寄稿しておられました。

「子守歌の投書を見てはっと思った。これはひょっとすると、毎日のようにテレビの民放放送が流しているコマーシャルソングの影響かもしれない」。

そこで、代表的なコマーシャルソングを集めてテープに取って分析してみたそうです。

そうすると、驚くべきことが出きたと。

「朝から晩まで、テレビのコマーシャルソングのほとんどが、長調の音楽だ。賑やかで騒々しい。明るい音楽ばっかりだ。あの子守歌の拗音階が全然ない。それは悲しみの旋律がないということだ。悲哀のメロディーの一つも民放テレビのコマーシャルソングの中にない。あの悲しみの旋律の全く見られない音楽ばかりだ。そこへあの子守歌の悲しい旋律を聞かせたから、子どもは拒否反応を起こしてしまったのではないか」。

つまり、いま拗音階とか悲しい旋律といいましたけれども、これは短調ですね。

短調の音楽は日本のメディアの社会からは、ほとんど失われてしまっている。

現在、日本の社会というのは、いつのまにか短調排除の時代になってしまったんです。

私は、その寄稿を読んですぐ心に思い浮かべました。

「悲しみの旋律を忘れた子どもたちは、他人の痛みを忘れた子どもたち。悲しみを知らない子どもたちというのは、他人の心の悲しみが理解できない」と。

実は、今から二十年近く前に、東京で日韓フォーラムという国際会議がありました。

日本と韓国の研究ものが集まって、いろんな問題について自由に討議するという会議で、今日でも続けられています。

その第一回目のとき、私は日本の宗教について何か語れということでお話に行ったんです。

そのとき私の報告の解説をして下さったのが、私より二十歳年上の韓国を代表する仏教学者の方でした。

その方が、最後の日のパーティーの席で

「自分は日本人がとてもうらやましい。なぜなら、日本人という民族の心の底には仏教が浸透している。自分は長い間、仏教の勉強をしてきて、韓国の社会というのは仏教を受け入れたけれども、これは頭の中だけだ。韓国社会というのは基本的には儒教社会だ」

と言うんですよ。