「グチコレクション」
略して
「グチコレ」
というそうです。
京都にある西本願寺系の龍谷大学大学院実践真宗学研究科の学生さんたちが、平成24年の11月からJR京都駅前と京都市内の施設や飲食店などで週1回のペースで行なっている、市民から愚痴(グチ)を聞く活動です。
メンバーは、龍谷大学の学生さんを中心に18人で、そのうちの16人が浄土真宗の本願寺派、高田派、東本願寺派の真宗僧侶だそうです。
ここで聞くのは
「グチコレ」の名の通り、「悩み」ではなく「グチ」です。
どちらも同じようなものでは…という気もしますが、一般に
「悩み」
を持ちかける人はその問題の
「解決」を求めます。
それに対して
「グチ」
を言う人は
「ただ聞いてほしい」
「頷いてほしい」
と思っています。
問題の解決よりも、
「誰かに自分の思いを聞いてもらいたい」
という人が世の中にはいることを裏付ける活動だと言えます。
ところで、今はネット社会とも言えますから、SNSを利用してその思い(グチ)を投稿すれば、より多くの人に伝わるのでは…という気もしますが、ネット大手のサイバーエージェントが昨春発表した
「SNSのグチ」
に関する意識調査によれば、64%の人が
「SNSにグチを投稿したくても出来ないことが多い」、さらに15%近くの人が
「グチを投稿したことでトラブルになった」
と答えています。
SNSは何でも投稿できる場のように思われているのですが、実はグチの投稿が不特定多数の人に拡散することで
「炎上」
につながる可能性もあり、そのため意外にもグチはネットで言えないようです。
そこで、この
「グチコレ」
の活動に携わる人たちは、
「気軽にグチを言える場を創出する一つの需要があるのではないか」
とみているのだそうです。
「グチコレ」を利用する人の中には、数秒で終わる人もいれば、世間話も交えて1?2時間話し込んだりする人もいますが、笑顔で帰っていく人が多く、トラブルになったこともないそうです。
また、何も言わずに差し入れを置いて行かれる人もあるそうです。
仏教では、
「愚痴(グチ)」は
「三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)の煩悩」
の一つで
「理非の分からないこと」ですが、本来は
「人間の心性の愚かさ」を意味する言葉です。
「グチコレ」にグチをこぼしに来る人は、それを聞いてくれる人、共有してくれる相手がいることで
「辛いのは自分だけではないんだ」
といった孤独感の解消を求めているのかもしれません。
最近、この取り組みが自死対策の関係者からも注目されているそうです。
それは、自死の要因の一つに当事者の孤独感が指摘されているため、抱えている悩みや本音を打ち明けられる場をいかに設けていくかが、自死対策の課題になっているからです。
自死に至る要因を未然に断つ意味で、気軽に本音を語り合える場として
「グチコレ」が注目されているのも頷けます。
私たちは、どんなに嬉しいことがあっても、それを語れる人がいなければつまらないものです。
だから、他の人にしてみたら取るに足らないささやかなことであっても、語れる人がたくさんいれば幸せな気分に浸れます。
また、どんなに辛くても、人は決してその事実だけではつぶれないものです。
何も言わなくても、ただ黙って自分の話に耳を傾け頷いてくれる人がいるだけで、再び立ち上がろうとする勇気がわいてくるものです。
そのような意味で、この
「グチコレ」
の活動は、とても大切なことであるように思われます。