親鸞・去来篇 2014年2月13日

炉辺の夜がたりは尽きない。

覚明は昼間、範宴の講義を聴いた時から、

(これは凡僧でない)とふかく心を囚(とら)われていたが、さらに一夜を語り明かしてから、(この人こそ、虚無と紛乱(ふんらん)と暗黒の巷(ちまた)にまよう現世界の明しとなる大先覚ではなかろうか)という気がした。

で、あくる日あらためて覚明は範宴のまえに出た。

「お願いがござるが」

範宴はやわらかい眼ざしを向ける。この処女(おとめ)のような眸のどこにきのう講堂で吐いたような大胆な、そして強い信念がかくされているのかの覚明はあやしくさえ思う。

「拙者を、今日から、御弟子(みでし)の端に加えていただきたいのですが――」

「弟子に」

「されば」覚明は力をこめていった。

「今日までの自分というものは、昨夜も申しあげたとおり、武辺(ぶへん)の敗亡者であり、生きる信念を欠いた自己のもてあましたものでありましたが、もういちど、人間として真に生き直ってみたいのでござる。おききどけ下さらば、覚明は、今日をもって、誕生の一歳とおもい、お師の驥尾(きび)に附いて、大願の道へあゆみたいと存ずるのでござる」

「あなたは、すでに、勧学院の文章(もんじょう)博士(はかせ)とし、学識も世事の体験も、この範宴よりは遥かに積まれている先輩です。――私がおそるるのはその学問です。あなた、今までのすべてを――学問も智慧も武力も――一切かなぐりすてて、まこと今日誕生した一歳の嬰児(あかご)となることができますかの」

「できる。――できるつもりです」

「それをお誓いあるならば、不肖(ふしょう)ですが、範宴は、一歳のあなたよりは、何歳かの長上ですからお導きいたしてもよいが」

「どうぞ、おねがいいたします」覚明は誓った。

かつて、木曾義仲にくみして、矢をむけた時の平家追討の返翰(へんかん)に、

――清盛は平家の塵芥(じんかい)、武家の糟糠(そうこう)なり。

と罵倒(ばとう)して気を吐いた快男児覚(かく)明(みょう)も、そうして、次の日からは、半僧半俗のすがたをすてて、誕生一歳の仏徒となり、性善坊に対しても、

(兄弟子)と、よんで、侍(かしず)く身になった。

覚明ひとりではない。

時勢は、源頼朝(よりとも)の赫々(かつかく)たる偉業を迎えながら、一方には、その成功者以上の敗亡者を社会から追いだしていた。

壇(だん)の浦を墓場とした平家の一族門葉もそうである。

それを討つに先駆した木曾の郎党も没落し、また、あの華やかな勲功を持った義経(よしつね)すらが、またたくまに帷幕(いばく)の人々と共に剿滅(そうめつ)されて、社会の表からその影を失ってしまった。

だが――亡びた者、必ずしも死者ではない。

生きとし生けるものの慣(なら)いとして、生き得る限りはどこかに生きようとしているのである。

平家の残党、木曾の残党、義経の残党、その一門係累(けいるい)はことごとく世間にすがたは消していても、どこかで呼吸し、何かの容(かたち)で、更生にもがいている。

太夫(たゆう)坊(ぼう)覚明も、そういう中の一人なのである。