親鸞・去来篇 2014年2月10日

やがて無動寺(むどうじ)の一乗院へたどりついた。

その間に、太夫房覚明と性善坊とは、範宴を先に立ててかなり親しく話していたが、一乗院まで来ると、

「どうぞ、幾日でもお泊りください。師の房も、あのように無口なお方ではございますが、決して、お気がねなさるようなお人ではございません」

性善坊はしきりと覚明をひきとめていた。

覚明も、元よりどこへ泊るというあてもないのであって、すすめられたことは、幸いであったらしい、

「それでは」

草鞋(わらじ)の緒(お)を解き、範宴へも断って、奥へ通った。

師弟はまだ食事をすましていないし、覚明も空腹らしかった。

性善坊は炉のある大きな部屋に薪(たきぎ)をかかえて行って、

「お客人(まろうど)には、失礼じゃが、かえってここが親しかろう、どうぞ炉(ろ)べりへ」

と席をすすめた。

範宴もやがてそこへ来て、師弟も客も一つ座になって粥(かゆ)をすすりあった。

覚明はうち解けたもてなしにすっかり欣(よろこ)んで、

「家の中に眠るのは久しぶりでおざる。ゆうべは、塔の縁に、一昨日(おととい)はふもとの辻堂に、毎夜、冷たい床にばかり眠っていたが、おかげで、今夜は人心地がついた」

といった。

範宴は苦笑して、

「あなたも何か迷うているお人と見える。私も、時々この山から迷いだすのです」

「いや」と覚明は武骨に手を振って――

「御房の迷いと、拙者の迷いとは、だいぶ隔(へだた)りがある。――われらごとき武(ぶ)辺者(へんしゃ)は、まだまだ迷いなどというのも烏滸(おこ)がましい。ただ余(あま)りに血に飽いて荒(すさ)んだ心のやすみ場を探しているに過ぎないので」

「武辺者と仰せられたが、そもあなたのご本名は何といわるるか、おさしつかえなくばお聞かせください」

「お恥しいことだ」

覚明は、憮然(ぶぜん)としながら、榾(ほた)火(び)の煤(すす)でまっ黒になった天井を見あげた。

そして、

「今は、それも前身の仮(かり)の名(な)にすぎぬが、実は、拙者は海野(うんの)信濃(しなのの)守(かみ)行(ゆき)親(ちか)の子です」

「えっ」思わず範宴は眼をみはった。

「――では勧学院の文章(もんじょう)博士(はかせ)であり、また進士(しんし)蔵人(くろうど)の職にあった海野道広(みちひろ)どのは、あなたでしたか」

「いかにもその道広です。木曾どのの旗挙(はたあ)げにくみして、大いに志を展(の)べようとしたものですが、義仲公は時代の破壊者としては英邁(えいまい)な人でしたが、新しい時代の建設者ではなかったのです。ことすべて志とちがって、ご承知のような滅亡をとげました。拙者も、男児の事業はすでに終ったと考えて、一時は死なんとしましたが、どういうものか、最後の戦いにまで生きのこって、はや、世俗のあいだに用事のないこの一身を、かように持てあましているわけでござる」

自嘲(じちょう)するように太夫房覚明はそういってわらった。