共には、いつものように、性善坊と覚明との二人が、車脇についてゆく。
牛飼の童子まで、新しい布(ぬの)直垂(ひたたれ)を着ていた。
慈(じ)円(えん)僧正の室には、ちょうど、三、四人の公(く)卿(げ)が、これも賀詞の客であろう、来あわせていて、
「ご門跡がおいでとあれば――」と、あわてて、辞して帰りかけた。
慈円はひきとめて、
「ご遠慮のいる人物ではない。
初春(はる)でもあれば、まあ、ゆるりとなされ」といった。
範宴は、案内について、
「よろしゅうございますか」蔀(しとみ)の下からいった。
「よいとも」僧正は、いつも変らない。
範宴も、ここへ来ては、何かしらくつろいだ気がする。
僧正のまえに出た時に限って、童心というものが幾歳(いくつ)になっても人間にはあることを思う。
客の朝(あ)臣(そん)たちは、
「は……。あなたが聖光院のご門跡で在(おわ)すか。お若いのう」
と、おどろきの眼をみはった。
「おん名はうかがっていたが、もう五十にもとどく齢(よわい)の方であろうと思っていたが」
べつな一人も同じような嘆声を発すると、僧正はそばから、
「はははは、まだ、見たとおりな童子でおざる」といった。
「御門跡をつかまえて、童子とは、おひどうございます」
範宴は、師の房のことばに、何か自分の真の姿をのぞかれたような気がして、
「師の君の仰っしゃる通りです」と、素直(すなお)にいった。
僧正は、相かわらず和歌(うた)の話へ話題をもって行った。
そして、
「初春(はる)じゃ、こう顔がそろうては、歌を詠(よ)まずにはおれん。範宴も、ちかごろは、ひそかに詠まれるそうな。
ここに在(おわ)す客たちも、みな好む道――」
と、もう手を鳴らして、硯(すずり)を、色紙を、文(ふ)机(づくえ)をといいつける。
客の朝(あ)臣(そん)たちは、
(はて、どうしよう)というように、当惑そうな眼を見あわせた。
そのくせ、青蓮院の歌会には、いつも、席に見える顔であり、四位、蔵人(くろうど)、某(なにがし)の子ともあれば、公(く)卿(げ)で歌道のたしなみがない人などはほとんどないはずである。
何を、眼まぜをしているのだろうか。
とにかく、しきりと、もじもじして、運ばれてくる色紙や硯などを見ると、さらに、眉をひそめていた。
慈円は、いっこうに、頓着がない。
好きな道なので、もう何やら歌作に余念のない顔である。
「いっそ、申しあげたほうが、かえってよくはあるまいか」
「では、そこもとから」
「いや、おん身から……」
何か、低声(こごえ)で囁(ささや)きあっていた朝(あ)臣(そん)たちは、やがて思いきったように、
「ちょっと、僧正のお耳へ入れておきたいことがありますが」
と、いいにくそうにいいだした。