親鸞・女人篇 2014年3月1日

共には、いつものように、性善坊と覚明との二人が、車脇についてゆく。

牛飼の童子まで、新しい布(ぬの)直垂(ひたたれ)を着ていた。

慈(じ)円(えん)僧正の室には、ちょうど、三、四人の公(く)卿(げ)が、これも賀詞の客であろう、来あわせていて、

「ご門跡がおいでとあれば――」と、あわてて、辞して帰りかけた。

慈円はひきとめて、

「ご遠慮のいる人物ではない。

初春(はる)でもあれば、まあ、ゆるりとなされ」といった。

範宴は、案内について、

「よろしゅうございますか」蔀(しとみ)の下からいった。

「よいとも」僧正は、いつも変らない。

範宴も、ここへ来ては、何かしらくつろいだ気がする。

僧正のまえに出た時に限って、童心というものが幾歳(いくつ)になっても人間にはあることを思う。

客の朝(あ)臣(そん)たちは、

「は……。あなたが聖光院のご門跡で在(おわ)すか。お若いのう」

と、おどろきの眼をみはった。

「おん名はうかがっていたが、もう五十にもとどく齢(よわい)の方であろうと思っていたが」

べつな一人も同じような嘆声を発すると、僧正はそばから、

「はははは、まだ、見たとおりな童子でおざる」といった。

「御門跡をつかまえて、童子とは、おひどうございます」

範宴は、師の房のことばに、何か自分の真の姿をのぞかれたような気がして、

「師の君の仰っしゃる通りです」と、素直(すなお)にいった。

僧正は、相かわらず和歌(うた)の話へ話題をもって行った。

そして、

「初春(はる)じゃ、こう顔がそろうては、歌を詠(よ)まずにはおれん。範宴も、ちかごろは、ひそかに詠まれるそうな。

ここに在(おわ)す客たちも、みな好む道――」

と、もう手を鳴らして、硯(すずり)を、色紙を、文(ふ)机(づくえ)をといいつける。

客の朝(あ)臣(そん)たちは、

(はて、どうしよう)というように、当惑そうな眼を見あわせた。

そのくせ、青蓮院の歌会には、いつも、席に見える顔であり、四位、蔵人(くろうど)、某(なにがし)の子ともあれば、公(く)卿(げ)で歌道のたしなみがない人などはほとんどないはずである。

何を、眼まぜをしているのだろうか。

とにかく、しきりと、もじもじして、運ばれてくる色紙や硯などを見ると、さらに、眉をひそめていた。

慈円は、いっこうに、頓着がない。

好きな道なので、もう何やら歌作に余念のない顔である。

「いっそ、申しあげたほうが、かえってよくはあるまいか」

「では、そこもとから」

「いや、おん身から……」

何か、低声(こごえ)で囁(ささや)きあっていた朝(あ)臣(そん)たちは、やがて思いきったように、

「ちょっと、僧正のお耳へ入れておきたいことがありますが」

と、いいにくそうにいいだした。