「ほ?……何でおざろう」
「実は、この正月にも、あちこちで、僧正のおん身に対して、忌(いま)わしい沙汰する者があるのでして」
「世間じゃもの、誰のことでも、毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)はありがちじゃ」
「しかし、捨てておいては、意外なご災難にならぬとも限りませぬ。僧正には、まだ何もお聞きなさいませぬか」
「知らぬ」と、慈円はこともなげにかぶりを振った。
範宴は、側から膝をすすめて、
「お客人(まろうど)」と、呼びかけた。
「師の君のご災難とは心がかり、して、それの取沙汰とは何を問題にして」
「やはり、和歌(うた)のことからです。――、この正月、御所の歌会始めに主上から恋という御題(ぎょだい)が仰せ出されたのです。その時、僧正の詠進(えいしん)されたお歌は、こういうのでありました」
と客の朝臣は、低い声に朗詠のふしをつけて、
わが恋は
松をしぐれの
そめかねて
真(ま)葛(くず)ヶ原(はら)に
風さわぐなり
「なるほど……。そして」
「人というものは意外なところへ理窟をつけるもので、僧正のこの歌が、やがて、大宮人や、僧門の人々に、喧(やか)ましい問題をまき起す種(たね)になろうとは、われらも、その時は、少しも思いませんでした」
「ほほう」
僧正自身が、初耳であったように、奇異な顔をして、
「なぜじゃろう?」と、つぶやいた。
「さればです」と、べつな朝臣が、後をうけて話した。
「――僧正の秀歌には主上よりも、御感(ぎょかん)のおことばがあり、女(め)の局(つぼね)や、蔵人(くろうど)にいたるまで、さすがは、僧正は風雅(みやび)なる大遊(たいゆう)でおわすなどと、口を極めていったものです。
ところが、心の狭い一部の納言(なごん)や沙(しゃ)門(もん)たちが、その後(あと)になって、青蓮院の僧正こそは、世をあざむく似非(えせ)法師じゃ、なぜなれば、なるほど、松を時雨(しぐれ)の歌は秀逸にはちがいないが、恋はおろか、女の肌も知らぬ清浄(しょうじょう)な君ならば、あんな恋歌(こいか)が詠(よ)み出られるはずはない。
必定、青蓮院の僧正は、一生不(ふ)犯(ぼん)などと、聖(ひじり)めかしてはおわすが、実は、人知れず香(こう)を袂(たもと)に盗んで口を拭(ふ)く類(たぐい)で、祇園(ぎおん)のうかれ女(め)の墻(かき)も越えているのだろう、苦々(にがにが)しい限りである、仏法の廃(すた)れゆくのも、末法の世といわれるのも、ああいう位階のたかい僧正の行状ですらそうなのだから、まことにやむを得ないことだ、嘆かわしいことだなどと、讒訴(ざんそ)の舌を賢(さかし)げに、寄るとさわると、いい囃(はや)しているのです」
範宴は、自分のことでもいわれているように、眸を恐(こわ)くさせて聞いていた。
聞き終ってほっと息をつぎながら、僧正の面(おもて)が、どんな不快な気(け)しきに塗られているであろうと、そっとみると、慈円は、
「ははは」と、肩をゆすぶって笑うのであった。