親鸞・女人篇 2014年3月7日

「妙な批判もあるものじゃな、そんなことを沙汰しおるか」

「中には、僧正を、流罪(るざい)にせよなど、役所の門へ、投文(なげぶみ)した者もあるそうです」

「おどろきいった世の中じゃ、それでは人生に詩も持てぬ。文学も持てぬ。僧が、恋歌を作って悪いなら、万葉や古今のうちの作家をも、破戒僧というて責めずばなるまい」

「しかし、僧正の時雨(しぐれ)のお歌は、あまりにも、実感がありすぎるというて、女を知らぬ不犯(ふぼん)の僧に、かような和歌(うた)の作れるわけはないというのです」

「それがおかしい。僧とても、人間じゃ、美しい女性(にょしょう)を見れば美しいと思うし、真葛ヶ原の風でのうても、血もさわげば、恋も思う。まして、詩や歌の尊さは、人間としての真を吐露するところにあって、嘘や、虚飾では、生命がない」

そういって、慈円は、世評の愚を一笑に附したが、客の朝(あ)臣(そん)は、

「しかし、衆口金を熔(と)かすということもありますから、ご注意に如(し)くはありません」

「いわしておくがよい。自体、僧じゃから女には目をふさげ、酒杯(さかずき)の側にも坐るなとは、誰がいうた。

仏陀(ぶつだ)も、そうは仰せられん。

信心に自信のない僧自身がいうのじゃ。

また、僧を金襴(きんらん)の木偶(でく)とおもうている俗の人々がいうのじゃ。

われらには、自分の信心を信ずるがゆえに、さような窮屈なことは厭(いと)う。

たとえば、いつであったか忘れたが、室(むろ)の津(つ)へ、船を寄せ、旅の一夜を、遊女(あそびめ)と共に過ごしたこともある。

その折の遊君は、たしか、花(はな)漆(うるし)とかいうて、室(むろ)の時めいた女性(にょしょう)であったが、津に入(い)る船、出る船の浮世のさまを語り、男ごころ女ごころの人情を聴き、また、花漆の問法(もんぽう)にも答えてやり、まことによい一夜であったと今も思うが、みじんもそれが僧として罪悪であったとは考えぬ。

月は濁(だく)池(ち)にやどるとも汚れず、心浄(きよ)ければ、身に塵(ちり)なしじゃ、そして、娯(たのし)みなきところにも娯み得るのが、風流の徳というもの、誹(そし)るものには、誹らせておけばよい」

慈円は、筆をとって、はや、想のできた和歌(うた)を、さらさらと書いていた。

朝臣たちも、僧正のことばに感じ入って、歌作の三昧(さんまい)にはいり、いつとはなく、そんな話題もわすれてしまったらしい。

ほどよく、範宴は辞して、聖光院へかえった。

しかし、きょうの話題は、牛車(くるま)のうちでも、寝室(ねや)のうちでも、妙に胸に蝕(く)い入ってならなかった。

そして、僧正がいわれただけの言葉では、まだ社会へ対して、答えきれていない気がするのであった。

仏法と女性、僧人と恋愛、それは、決して、一首の和歌(うた)の問題ではない。

この数日、範宴はそのことについて、熱病のように考えてばかりいた。

解けない提案にぶつかると、それの解けきれるまで夢(む)寐(び)の間(あいだ)にも忘れ得ないのが彼の常であった。

それから十日ほど後。

青蓮院の文(ふ)使(づか)いが見えた。

師の僧正からで、頼みの儀があるから来てもらいたいという文面であった。

※「衆口金を熔かす(しゅうこうきんをとかす)」=多くの人々の言うことには、恐ろしい強い力がある。世評の無責任、中傷の恐ろしさのたとえ。

※「夢寐の間(むびのあいだ)」=ねむって、夢をみている間。