正義を踏んで立つ背には仏神がある。
「南無っ」といって性善坊は武者ぶりついて行った。
どこの女御(にょご)かわからぬが、この悪人の餌(え)にさせてはならぬ。
今もって、悪業(あくごう)を行(ぎょう)とし、京都を中心に近畿(きんき)いったいをあらし廻る浄土の賊天城四郎の贄(にえ)にさせてなろうかと、相手の正体を見、被害者の傷々(いたいた)しい姿を見ると、彼の怒りはいやが上にも燃えて、
「南無っ」組んで倒さんとすると、四郎も満身を怒(ど)肉(にく)に膨(ふく)らませて、
「うぬっ」
「南無っ」
「うぬっ」
死力と死力でもみあううちに、仏神の助勢も、この魔物の悪運には利益も施(ほどこ)す術(すべ)なく見えて、
「あっ――」
といったとたんに、性善坊の体は、大地へめりこむように叩きつけられていた。
四郎はすぐ跳びかかって、
「どうだ、この野郎」
馬乗りになって、彼の体に跨(また)がり、短刀をぬいて、切先を擬しながら、
「ふだんから望んでいる西方浄土へ立たしてやる」
すでに刺されたものと性善坊が観念したときである、彼方(あなた)の大勢を、ただひとりの腕力で、蜘蛛(くも)の子のように蹴散らした太夫房覚明がふと振向いて、
「おのれっ」
投げたのは、彼が、賊の手下から奪って賊を痛めつけていた金輪(かなわ)の嵌(はま)った樫(かし)の棒であった。
あたったら四郎の頭蓋骨は粉になっていたろう、四郎はしかしハッと首を前へかがめた。
棒が、ぶうんと唸って背なかを越してゆく。
それと、性善坊が足をあげて下から彼を刎(は)ね返し、また、覚明が駈けてきて、四郎の肩をつよく蹴ったのと、三つの行動が髪一(ひと)すじの差もない一瞬だった。
(しまったっ)というような意味のことばを何か大きく口から洩らしながら、四郎の体は、性善坊の上を離れて、亀の子のように転がったが、そこで刎ね起きたり、土をつかんだりするような尋常な人間ではなかった。
蹴転がされると、そのまま、自分の意地も加えてどこまでもごろごろと転がって行って、四、五間(けん)も先へ行ってから、ぴょいと突っ立ち、
「やいっ、範宴の弟子ども」
と、こなたを見ていうのだった。
「よくも、邪魔をしたな、忘れるなよ」
呪詛(じゅそ)に満ちた声で、こういい捨てると、まるで、印をむすんで姿を霧にする術者のように、影は、野末へ風の如く走って行った。