浄土真宗の家庭では、朝起きるとまずお仏壇のお給仕をし、お参りをするということを大切にしています。
年輩の方々の中には、子どもの頃お仏壇に朝参らなかったら、朝ご飯が回らなかったという方も少なくないのではないでしょうか。
ところで、なぜ浄土真宗では、毎朝お仏壇にお参りするのでしょうか。
私たちは毎朝目が覚め、体が動くことが当たり前だと思い込んで生活しております。
しかし、それは錯覚にすぎません。
朝、目を開けようと思っても、開かなくなる日が必ずやってきます。
それは今朝であっても何ら不思議なことではありません。
私たちは自分に都合の良いことは当たり前で、都合の悪いことは当たり前ではないと思っているだけで、目が覚めることが当たり前なら、目が覚めないことも当たり前のことと言えます。
しかし、今朝目が覚めなくても、少しも不思議ではないのに、昨日までと同じように、私には思いも及ばない多くのおかげさまにより、今朝も目が開きました。
だから、今朝も目を開けることが出来ました、いのちいただいてありがとうございます、とまずお礼を申し上げて一日をはじめましょう、というのが朝のお参りです。
決して朝から仏様にお願い事をする為に参るのではありません。
仏様に頼み事をする為にお参りする人は、おそらく毎朝はお参りしないと思います。
都合良くいってるときは参る必要がありませんし、困ったときだけに参ればいいからです。
そういう方のお宅のお仏壇は、わけのわからないお札があったり、他宗派の仏様があったり、宝くじが置いてあったりします。
毎朝、今日もいのちいただいているなぁと、その自分のいのちの尊さに感動し、頷かせてもらえるお念仏の教えに出遇わせてもらっている人は、毎朝手を合わせずにはいられないのです。
知らず知らずの間に、朝起きたらお仏壇の前に座っている。
そういう方のお仏壇はご本尊以外の余計なものはなく、きれいに掃除されお給仕されているのであろうと思います。
そういった浄土真宗の伝統を、私たちも大切に受け継ぎ次の世代へと伝えていきたいものです。