ご講師:
佐々部清さん(映画監督)
西田聖志郎さん(俳優)
(西田)
私は、まさにこの映画の舞台になった鹿児島市真砂町で生まれ育ちました。
どうしても故郷である真砂を舞台にした映画を撮りたくて、企画し、自分で出演しました。
この映画を企画した背景として、真砂は昔、鴨池空港や動物園もそばにあり、活気にあふれていました。
しかし、私が高校を卒業して上京するころ、空港は溝辺に、動物園は平川に移転してしまいました。
それからでしょうか、鴨池や真砂の商店街もシャッターを閉め始めたんです。
昔、旧谷山街道には200軒ぐらいお店があったのですが、今は5、6軒くらいです。
大学時代、帰郷するたびに1軒、また1軒とシャッターが閉まっていくのを目の当たりにしました。
それを見て、商店街が寂れていく姿もそうですが、私の子どものときの歴史がすべて削り取られていくような想いがしたんです。
しかしそんな中で、家族で力を合わせて、地域の人たちに少しでも安く、よいものを買ってもらおうと頑張っている家族経営のお店もあるんですね。
そういう家族をどうにか描いてみたいなと思って、今回の映画を企画しました。
佐々部監督とは、2002年に『日はまた昇る』という映画でご縁がありました。
歳も近いので、撮影後によく2人で“だいやめ(飲み会)”をしていたんでよ。
監督はその間に大巨匠になられたこともあったので、そんな方がこの映画を引き受けてくれるはずはないなと思って、ダメ元でご連絡しました。
(佐々部)
僕は、山口県下関市出身で、薩摩の地には全く縁もゆかりもありませんでした。
この映画のお話をもらったとき、薩長連合だなぁと思いましたね。
初めて鴨池に行って、今回の映画関係者にお会いしたとき、「鹿児島の観光映画を作るつもりはさらさらありません。
人のドラマ、家族のドラマで人を感動させる映画を作りたい」と伝えました。
僕はこう見えてアカデミー賞をとった監督なんですが、この映画の予算を尋ねてみると、土曜ワイド劇場の予算よりも少なかったんですよ。
最初「これはどうしたものかなあ」と思ったんですが、きっと映画ってお金じゃないと思うんですね。
人の気持ちや思いがいっぱい詰まると映画は素晴らしいものになります。
現在東京で公開中ですが、映画評論家や関係者の方々が絶賛してくれています。
「なんだ、佐々部は低予算であんないい映画を撮れるんだな」という噂が広まって、これから僕のところに予算のない映画がたくさん来そうで怖いです。
でも、これは聖志郎さんの鹿児島に対する思いと、三姉妹をはじめ、市毛良枝さんや井上順さんといった俳優たちの思いがきちんとあるんです。
方言のシーンがたくさんありましたが、市毛さんの鹿児島弁は地元の方が見事と言うくらいきちんとされていますし、都城出身という設定の津田寛治くんも都城出身の方からとても褒められていました。
それはやはり、参加してくれた俳優たちが、聖志郎さんの思いに集まってくれたからこそで、方言をはじめ、手を抜いていないところが映画のいたるところに現れています。
この映画を何年もかけてここまでこぎつけた「西田聖志郎」という俳優、今回はプロデューサーもされましたが、この人に本当に敬意を表します。