小説・親鸞 2014年9月16日

肩を並べて、二人は歩みだした。

四条の橋を東へ渡りかけて、

「法印、あなたは、西の方へお渡りのところではありませんか。こう行っては、後へ戻ることになりましょう」

範宴が、ためらうと、安居院(あごい)の聖覚は、首を振って、

「何、かまいません。友が生涯の彼(ひ)岸(がん)に迷っていることを思えば、一日の道をもどるくらい、何のことでもありません」

そういいつつ、歩む足も言葉もつづけて、

「今、あなたの真(しん)摯(し)な述懐を聞く途端に、私の頭へ閃いたものがあります。それは、きっとあなたに何らかの光明を与えると思う」

「は、……何ですか」

「範宴どのは、黒谷の吉水(よしみず)禅房に在(お)わす法(ほう)然(ねん)上人にお会いになったことがありますか」

言下に範宴は答えた。

「かねて、お噂は承っていますが、まだ機縁がなく、謁(えっ)したことはございません」

「大きな不幸ですな」

と法印はいった。

「ぜひ、一度、あの上人にお会いになってごらんなさい。私がここで、その功(く)力(りき)を百言で呶々(どど)するよりは、一度の御見(ぎょけん)がすべてを、明らかにするでしょう。私も初めのほどは、ただ奇説を唱える辻の俗僧とぐらいにしか思わないで、訪れを怠っていましたが、一度、法然御房(ごぼう)の眉を仰いでからというものは、従来の考えが一転して、非常に明るく、心づよく、しかも気楽になりました。なぜもって早くにこの人に会わなかったのかと機縁の遅かったことを恨みに思ったほどでした。ぜひあなたも行ってごらんなさい」

熱心にすすめるのだった。

黒谷の念仏門で、法(ほう)然房(ねんぼう)の唱道している新宗教の教義や、またそこに夥(おびただ)しい僧俗の信徒が吸引されているという噂は、もうよほど以前から範宴も耳にしていることであって、決して安居院(あごい)の聖覚の言葉が初耳ではなかった。

けれど、法印も今告白したとおり、在家往生(おうじょう)とか、一向念仏とか、易(い)行(ぎょう)の道とか、聞く原理はいわゆる仏教学徒の学問の塔にこもって高く矜(きょう)持(じ)している者から見ると、いかにも、通俗的であり、民衆へ諂(おもね)る売教僧の看板のように見えて、そこの門を訪ねるということは、なにか、自己の威権にかかわるような気のしていたものである。

ことに、凡(ただ)の学徒や究法の行者とちがって、生きるか死ぬかの覚悟で、まっしぐらに大蔵の仏典と人生の深奥に迷い入って、無(む)明(みょう)孤独な暗黒を十年の余も心の道場として、今もなお血みどろな模(も)索(さく)を続けている範宴にとっては、そういう市(し)塵(じん)や人混みの中に、自分の探し求めているものがあろうなどとは絶対に思えなかったのである。

吉水の禅房と聞き、黒谷の念仏門と聞き、法然房源空と聞き、幾たびその噂が耳にふれることがあっても、まるで他山の石のような気がしていたのであった。

それが今――今朝ばかりは――

「お!黒谷の上人」

何か、胸の扉をたたかれたような気がした。

「ぜひ、行ってご覧なさい」

法印は、重ねてすすめた。

そして、別れて立ち去った。

「黒谷の上人」

範宴はつぶやきつつ、後を見た。

もう法印の姿は往来に見えない。

頂法寺の塔の水煙(すいえん)に、朝の陽(ひ)がちかと光っていた。

「法然――。そうだ法然御房がいる」

九十九日目の明けた朝であったのも不思議といえば不思議である。

如意輪観世音の指し給うところか、範宴はすぐ心のうちで、

(行こう!)と決心した。