小説・親鸞 恋愛篇 門 2014年10月10日

吉水(よしみず)の丘はちょうど花(か)頂山(ちょうざん)の真下にあたっている。

ひところの黒谷の草庵はあまりに手狭なのでいつの年かここに移ってこられたが、その当時のまま世間では黒谷の上人といっている。

そこに法(ほう)然(ねん)はもう三十年以上も住んでいた。

旅に出たり、他に幾月かの起き臥しを過ごしたことはその間には勿論あっても、西山の黒谷に遁世(とんせい)して名を法然房と称(とな)えたのは実に彼が十八歳の時であったから、その機縁からいえば上人のこの黒谷や吉水附近の土地とは、すくなくとも四十数年来――短い人の一生涯ほども宿(すく)世(せ)を経てきているのである。

(縁(えにし)――)しみじみと、範宴は、それを今、輦(くるま)の中で感じる。

聖光院も、青蓮院も、この吉水とは垣の隣といってもよいほど近いのだ。

そして、自分か、青蓮院の門を手をひかれて行って、髪を下ろした九歳(ここのつ)のころには、もう黒谷の上人は、西山の広谷から吉水へ移って、浄土の門をひらき、称名(しょうみょう)専修をとなえていた。

それから、二十年ものあいだ、百歩の近くに住みながら、どうして、お親懇(ちかづき)を得る折がなかったのか。

念仏の声はしきりと吉水の樹(こ)の間(ま)からもれてきて耳には入っていながら、心までは沁みなかったかと思う。

(御縁である)ふかく――それだけに範宴は今日の日を――不可思議な参(さん)会(え)であると考えて、この通る道、ここを巡(めぐ)りゆく轍(わだち)の音にも、掌(たなごころ)をあわせて謝したいような感謝にくるまれるのであった。

儀装をこらした小(こ)八葉(はちよう)の輦(くるま)は、そうして、道程(みちのり)にすれば実に短い――時間にすれば何万何千里にも値する歳月の遥けさととおって、吉水禅房の前に着いた。

門の近くを憚(はばか)って、十間ほどてまえで範宴は輦を下りた。

覚明が、内へ訪れると、

「上人も、お待ち申しあげておられます」

と、玄関へ出て迎えた弟子僧の面々がいう。

(はてな?)覚明は、性善房と眼を見あわせて、いつのまに今日の訪問をあらかじめ師が通じておいたのかといぶかった。

白(しろ)金襴(きんらん)の袈裟(けさ)がわけて背をたかく見せている範宴のすがたが、式体(しきだい)する吉水門の人々に身を低めつつ静かに奥へとおった。

さすがに貴公子らしいと後にただようほのかな人格のかおりを禅房の人々はゆかしく思いあうのであったが、誰も、その人と同じ人間が先ごろから数日のうち道場の聴法の筵に俗衆のうちにまじっていたとは気のつく者はなかった。

茶を煮て、檜(ひ)折(おり)のうえに、伏(ふ)兎(と)餅(もち)と椀(まり)とをのせて奥へ運んでゆくと、

「呼ぶまでは、誰も来るな」

という上人の声がする。

縁のつま戸はかたく閉められて、近づく者はなかった。

*「宿世(すくせ)」=仏教で、前世。前世からの因縁。宿縁。

*「式体(しきだい)」=頭を下げて礼をすること。あいさつ。えしゃく。色代、色体とも書き、しきたいともいう。