小説・親鸞 火(か)焔(えん)舞(ま)い 2014年12月19日

そこで蜘蛛太が頭領の四郎にかわって野良犬がほえるようにいうことを聞くと、この草庵へ毎日のように通ってくる女がある、のみならず女は、綽空の留守には、洗い物をしたり夜の支度までして帰る。

その帰るところを尾行(つけ)てみると、九条の月輪殿のお館(やかた)で、女は、姫の侍女(かしずき)の万(まで)野(の)だということまで洗ってあるのだ――といって力(りき)み返(かえ)るのだった。

「おぬしと、姫とが、きれいに手の断れたものなら、姫の侍女(かしずき)が来て水(みず)仕(し)業(わざ)の世話まで焼くはずはねえ。

そうして、てめえは世間を甘くごまかしているのだ。どうだ、恐れ入ったろうが」

止(とど)刀(め)を刺したもののように四郎が言葉の結びを付けると、綽空はそれに対して、一言のいいわけをするのでもなく、

「いかにも、お汝(こと)らのいうとおりな事実はある。しかし、それは貧燈の一僧をあわれむお方の布施(ふせ)であるほかに何ものでもない」

「女と男の間のこと、何といおうが、俺たちは合点せぬ。それとも、俺たちのいい分に不服があるか」

「ふん……さすがに返す言葉がねえわ」と、あざ笑って、

「しからば、月輪殿へ、手紙を書け。この男に応分の喜(き)捨(しゃ)を頼むと。――話のすじはこっちでする」

「月輪殿に、何の科(とが)があろう、みな綽空のいたらぬことによる。綽空を責めよ、綽空の法(ほう)衣(え)なりと剥(は)げ」

「ばかなっ、そんな破(や)れ衣(ごろも)がいくらの飲(の)み代(しろ)になると思うか。――もうよし、くどい問答は切りあげて、また出直そう」

もっと粘(ねば)るかと思いのほか、四郎は手下を連れて、あっさりと引揚げてしまった。

しかし、それから四、五日後のこと。

どこへ行って戻られたのか、九条の月輪の門前に、一輛(りょう)の輦(くるま)がついて、その中から主(あるじ)の月輪禅閤(つきのわぜんこう)が降りた姿を見とどけると、突然、物蔭からから精悍(せいかん)な眼を光らせて走ってきた天城四郎が今しも邸内に入ろうとする禅閤の法(ほう)衣(え)の袂(たもと)をとらえて、

「待てっ」と、どなった。

禅閤はふり向いて白い眉毛の蔭からじろりと男の顔を見、すぐ何かを感じ取ったもののように、

「用事は、執事(とりつぎ)にいうてくれ」

と落着いた顔でいった。

だが、驚いたのは、周囲にいあわせたこの館(やかた)の小侍や稚子(ちご)や牛飼たちで、

「こらっ、何するか」

「無礼者っ」隔てようとして立ち騒ぐと、

「うるせえっ」一喝(いっかつ)して、

「めったに、俺のからだに触ると、蹴ころすぞっ。てめえ達に用があって来たのじゃねえ、この間から、いくら使いをよこしても、ウンともスンとも返事がねえので、今日は自身で月輪殿に談合に来たのだ。黙ってひかえていろ」

そして、たとえ、刃物沙汰に及んでも離すまじく示して、

「月輪殿、おれの談(はなし)を聞け」と、喚(わめ)きたてた。

すわ、九条殿の館の前に、何事かが起ったぞと、物見だかい往来の者が、一人立ち二人立ち、もう垣をなすほど集(たか)っていた。