姫は――いや新妻は――朝は夙(と)く小鳥と共に起きて、ただ一人の侍女(かしずき)の万(まで)野(の)をあいてに、林の薪(たき)木(ぎ)をひろい、泉の水を汲み、朝の家事に余念がない。
すがすがと、清掃された草庵の部屋に、やがて、ささやかな膳が出る。
茶碗が二つのっている。
綽空は、膳を見ても、それが、衆生(しゅじょう)の世界に見え、仏法を考え、感激が胸にあふれた。
箸も二つ、木皿も二つ、このうえの物はすべて二(ふた)つの対(つい)であった。
生きる営みが、すべて、二つという数から初まることは、この膳が語っているではないか――と。
日月。
――この二つの下(もと)に生きる人間は、やはり、孤(こ)であってはならない、西行(さいぎょう)のごときさすらい人とならない限りは。
彼(ひ)岸(がん)へ、一人でわたれる者は、選ばれた者のみだ。
衆生は、二人で棹(さお)さすのでなければならない。
陰陽の波にのせて。
そのいずれにも徹しきれないで、混濁の汚(お)海(かい)にあえぐ愚かな今の僧人よ! 衆生よ!
綽空は、箸をとりつつ、ひそかにこう思う。
(いかに、今朝の自分の姿が、安心と、満足とにかがやいているかを。
なぜ、人々はこうなれないのか)飯(いい)を盛った茶碗の中へ思わず微笑んでいたのである。
まばゆげに、それを見て、新妻の玉日も、白(しら)珠(たま)のような歯を、ちらと見せて、ほほ笑んだ。
「ははは」綽空の今朝の明るさ。
体が、軽いのである。
太陽の下へ出て、人間と生れさせてくれたことを、感謝したい。
御仏の足もとにぬかずいて、二十年の蒙(もう)をひらいてくれたことを心から感謝したい。
草へも木へも、よろこびを伝えたい。
なおさらなこと、わがよき妻へはなんと、感謝しよう。
(おん身は、わが凡身を浄化するために、かりに、人間に添い給う観(かん)世(ぜ)音(おん)菩(ぼ)薩(さつ)でおわすぞ)と、いおうか。
それともまた、
(玉日、そなたはわしに救われ、わしはそなたに救われた、この結縁(けちえん)から、わしら夫婦は何を生まねばならないか)といおうか。
しかし、胸がいっぱいだ、綽空は何も今朝はいえないのである。
玉日はまして、俯(うつ)向(む)きがちだし……。
膳を、水屋へ運んで行った万(まで)野(の)も、ひとりで、何か満足している。
松の樹洩(こも)れ陽(び)が、台所の棚にまでさしこんで、そこも、今朝から塵もない。
「お迎えに参りました」と、門口で西洞院から来た小侍と雑人(ぞうにん)が声をかけた。
「おお」われに返って、綽空は、妻へいった。
「今日から、日々、吉水へ参るのだ。そなたも、一緒に」
「はい」
「かねて、わしが、そなたに向って申し聞かしたことども、よく、胸にこたえておるか」
「わかっております」
「ここから吉水までは、道は近うもあれ、百難の障(しょう)碍(げ)が必ずあるぞよ、不退の二字、胸に、わすれるな。
いかなることがあろうとも、揺(ゆ)るぐな、躁(さわ)ぐな、怯(おび)えまいぞ、綽空が、一緒だと思え、良人(おっと)の力、御(み)仏(ほとけ)の御加護があると思え」
雑人たちは、輦のそばで、牛飼をさがしていた。
牛飼は、稚子(ちご)と共に、牛を泉のほとりへ曳いて行って、のどかに、草を飼っているのであった。