輦(くるま)が、鳥居大路へかかると、もうその輦が、人を轢(ひ)き殺さない限りは、後へも前へも動かせないような群衆だった。
「人前も無う、九条殿の法師聟と、その嫁御寮とが、一つの輦で通ってゆくぞ」
「気でも狂うたのか」
「果報すぎて――」
「いや、仏罰(ぶつばち)で」
「気ちがい聟!」
「破戒僧っ」
「地獄車よ!」追っても追っても、輦の後(あと)から蛆(うじ)のように群衆は尾(つ)いてくるのである、そして、辻にかかるほど、その数は増した。
花(か)頂山(ちょうざん)のいただきも、粟田山も、如意ヶ岳も、三十六峰は唐(から)の織女(おりめ)がぬった天平(てんぴょう)錦(にしき)のように紅葉(もみじ)が照り映えていた。
空は澄むかぎりな清明を見せて、大路から捲きあがる黄いろい埃(ほこり)が、いくら高く昇(あが)っても、その碧(あお)さに溶け合わないくらいであった。
輦の先に立ってゆく、牛方と、侍とは、額(ひたい)を黒い汗にして、
「退(の)けっ」
「道を開け」
「往来の邪(さまた)げする者は軌(わだち)にかかっても知らぬぞよ」
鞭(むち)を上げてみせたり、叱咤したり、一歩一歩、轅(ながえ)をすすませて行くのであったが、衆は、衆を恃(たの)んで、そんな威(い)嚇(かく)に、避ければこそ、
「あれみろ!」と、指さして、町の天狗のように、わあわあと嘲笑(わら)う。
「あの、法師の顔は、どうじゃよ。
真面目くさって、白(しろ)金襴(きんらん)の法(ほう)衣(え)をまとうて清浄めかしているけれど――」
「夜は、どんな、顔することやら……」
「女性(にょしょう)も、女性」
「よくよくな、面(つら)の皮(かわ)よ! 二人ともに!」
そんなところではない。
野卑(やひ)な凡下の投げることばのうちには、もっと露骨な、もっと深刻な、顔の紅くなるような淫(みだ)らな諷(ふう)刺(し)をすら、平気で投げる者がある。
そしてもう、十(じゅう)禅師(ぜんじ)の辻へ出ようとするころには、輦(くるま)は人間で埋められて、一尺も進み得なくなっていた。
――が、綽空は、端厳なすがたを少しも崩してはいない。
眉の毛一(ひと)すじうごかさないという態度である。
余りにも、傷々(いたいた)しく思われるのは、玉日であった。
被衣(かずき)してさえ若い新妻は昼間の陽の下を
歩み得ないほどなのが、そのころの新窓に育った佳人の慣わしであるものを。
しかし――こういう試(し)練(れん)にかかることは、この人が良人(おっと)ときまる前からの覚悟であった、父からもいわれ、綽空からもとくといわれた上で、はっきりと誓いしていたことだった。
玉の肌(はだえ)を白日の下(もと)に曝(さら)すほどな辛さも、彼女は、辛いとは思わなかった。
むしろ、嫁いでまもないうちに、良人と共に、良人の信行(しんぎょう)の道へ、こうして、忍苦をひとつにすることができた身を、倖(しあわ)せとも、妻の大きな欣びとも、思うのであった。