「歴史」という言葉は、日本では明治時代、「history」の訳語として、もっとも概念的に近いと思われている「史」を元に作られた用語です。
私たちが学校で歴史を学習する際、基本的には教科書に記述されていることを丸暗記をすることになります。
なぜなら、その通りに覚えないとテストで良い点数を取ることができないからです。
そのため、私たちは無意識のうちに「教科書に書かれていることは事実だ」と信じて疑わないでいるのですが、実は歴史の記述がなされる際、そこには執筆者の考え方や価値観が投影されたり、執筆されている時代の影響を受けたりしていることに注意する必要があります。
したがって、政治体制の変化によって教科書の記述内容が書き換えられることもありますし、周辺の国家と見解が一致していない事柄も少なからずあったりします。
日本の教科書の記述内容について、隣国の韓国や中国がしばしば異議を唱えたりするのも、個々の歴史的事実に対する理解の仕方がそれぞれ異なっているからに他なりません。
ところで、これらの隣国では「反日教育が行われている」と報じられています。
一方、日本ではことさら「反韓・反中」的な教育を行ってはいません。
なぜ、日本では「反韓・反中」教育を行っていないのに、韓国や中国では学校で「反日教育」が行われているのでしょうか。
今回は、朝鮮半島の国家について考えてみます。
1910年(明治43年)8月29日「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて、大日本帝国が大韓帝国を併合、植民地化しました。
これは、日韓併合、朝鮮併合、日韓合邦とも表記される歴史的事実です。
これ以後、朝鮮半島において、日本による統治が1945年(昭和20年)9月9日の朝鮮総督府の降伏まで35年間続きました。
日本が戦争で負けて朝鮮半島から引き揚げると、その後にはソ連とアメリカが入ってきました。
そして、北半分にはソ連がソ連式の国家を作り、南半分にはアメリカがアメリカ式の国家を作りました。
北の国家には、それまでソ連軍の大尉としてソ連軍と行動を共にしていた金日成がトップに据えられました。
私たちは学校の授業ではこのように習ったのですが、北朝鮮では「金日成という絶対的な指導者が、日本の植民地時代から朝鮮半島で日本軍と戦い続け、遂に勝利を収めて北朝鮮という国家を作った」という、いわゆる建国神話があり、国民はそれを覚えさせられています。
事実は、ソ連の思惑で国作りがなされたのですが、北朝鮮の指導部の人たちにしてみれば、そのことを率直に認めてしまうと「自分たちだけの力で国を作ることができなかった」という劣等感に苛まれることになります。
そこで、「自分たちの力で国を作った」という架空の歴史を生み出すことになった訳です。
これは北だけでなく、南の韓国でも同じようなことが行われました。
韓国は、日本の敗戦後に国連の主導で総選挙が実施され、その結果、李承晩政権が出来上がりました。
日本が朝鮮半島を支配していた時期、中華民国の上海に韓国臨時政府というものがありました。
いわゆる亡命政権で、政府を名のってはいたもののほとんど実体はありませんでした。
この臨時政府の初代大統領に就任したのが李承晩ですが、彼は派閥抗争から臨時政府の大統領を罷免され、戦争が終わるまで朝鮮半島にはいませんでした。
ではどこにいたのかというと、アメリカにいてさかんにロビー活動をしていました。
そして、戦争が終わった直後、朝鮮半島に舞い戻り、アメリカでのロビー活動のお蔭で、大統領に就任することができたのです。
北朝鮮の金日成がソ連の力によってトップに座ったのと同様、韓国の李承晩もアメリカの力によって大統領になったといえます。
つまり、韓国でも「自分たちだけの力で国を作ることができなかった」という劣等感を抱えて、新たな国作りを始めたという訳です。
そこで韓国では、現在の韓国政府は上海につくられた臨時政府を継承するものだとしています。
つまり、「上海にあった臨時政府が、日本と日本の支配者に対して戦った結果、現在の韓国がある」という歴史を作り出したという訳です。
これは、北朝鮮のように捏造とまでは言えませんが、やはり極めて主観的な史実を作り出している点では北朝鮮と大差はありません。
さて、北朝鮮も韓国も共に、日本に戦争で勝利した結果、現在の国家が誕生したということを強調していますから、必然的に反日教育が行われることになります。
確かに、1910年から35年間、日本が朝鮮半島を支配していたことは歴史的事実です。
そのため、新しい歴史を書くに際しては、支配者であった日本について批判的な記載がなされることはある面やむを得ないことかもしれません。
けれども、戦後70年間「反日教育」が続けられてきた結果、北朝鮮との国交は未だに正常化されず、韓国とは様々な軋轢が生じています。
この場合、摩擦の大半は日本からではなく朝鮮半島から提起される形で起こっています。
反日政策を反映する事柄ですが、近年日本国内ではそれに対抗するかのように、ヘイトスピーチなど極端な形での反発も起きています。
では、いったいどうすれば私たちは隣国の人びとと仲良くできるのでしょうか。
一つには、観光等で日本を訪れた韓国の人が
「日本はひどい国だと教えられてきたが、実際日本に行ってみると全く違った。日本が好きになった」
といった所感が述べられた記事をネット上で見ることがあります。
やはりお互いをよく理解するためには、人と人がふれ合うことによって新たな関係性を築いていく以外、道はないのではないでしょうか。
もう一つは、実は日韓の歴史問題は、一応の解決を見た時期があったことに着目する必要があります。
それはいつのことかというと、1998年訪日した金大中大統領は日本側のお詫びを受け入れ、それ以降
『韓国政府は過去の問題を持ち出さないようにしたい。自分が責任をもつ』
と言明しました。
この約束は堅持され、その後2年間、韓国の首脳、閣僚レベルで対日批判は全くありませんでした。
これは、日韓の歴史問題は政治的な配慮によって解決可能であり、また現に1度は解決されたことを示す事柄だと言えます。
ただし、朴槿恵大統領が宣言した
「加害者と被害者の関係は『千年の歴史が流れても変わらない』(2013年3月1日、独立運動を記念する政府式典での演説)」
との発言を聞く限り、少なくとも現政権のもとでは極めて難しいことだと言わざるを得ません。
歴史は、書く人の恣意によって、どのようにでも記述されてしまいます。
そのため、同じ出来事であっても、視点が違えば評価も大きく異なります。
では、何も参考にならないのかというと、決してそのようなことはありません。
歴史を学ぶことによって、私たちは先人の様々な生き方を知ることができます。
そして、その過ちを通して、同じ轍を踏まないためにはどうすればよいのか考えることができます。
あるいは、たとえ躓いてもどうすれば立ち上がることができるのか、教えてもらうこともできます。
このような意味で、歴史は先人が残してくれた貴重な「教科書」だといえます。
ただし、そこには時代背景・政治体制・著述者の思想などが影響を及ぼしていることを考慮することも必要です。
人によっては面倒だと感じるかもしれませんが、学生時代のように書かれていることを鵜呑みにして丸暗記するのではなく、同じ出来事でも多様な視点からとらえようとすると、新たなことがいろいろ浮かび上がって見えてきます。
それは、学生時代にはなかなか味わうことの出来なかった、歴史を学ぶ上での醍醐味だといえます。