今年は、第二次世界大戦が終わってから戦後70年です。
この間、日本は外国と一度も戦火を交えることはありませんでした。
そのような意味では、私たちは平和な時代を過ごしてきたといえます。
けれども、第二次世界大戦ではあまりにも多くの人が死に、誰もが「もうこのように悲惨な戦争は嫌だ」と思ったはずなのに、この70年間、依然として世界の各地で戦火が絶えることはありませんでした。
世界の国々は、あの悲惨な戦争から何も学ばなかったのでしょうか。
そうではありません。
多くのことを学んだのですが、戦争から教訓を得たといっても、それが必ずしも「不戦」につながる訳ではないところに人間の愚かさがあります。
たとえば、かつてのソ連(現在のロシア)は、第二次世界大戦中に最多の2700万人、日本のおよそ10倍もの犠牲者を出しましたが、戦後そのことが深刻なトラウマになりました。
そこで、ソ連は「二度と周辺国から侵略を受けないようにするために、国境の外に緩衝地帯を作ることが必要だ」と考えました。
なぜなら、国境を接した隣国が敵対する国であった場合、いつそこから攻め込まれるか分からないからです。
そのため、ソ連は周辺にある東ヨーロッパ諸国を社会主義化し自国と同じ政治体制にしました。
そして、周囲をソ連のいうことをきく国ばかりにすることに努めました。
なぜなら、緩衝地帯があることで、容易に国内に攻め込まれる危険が少なくなるからです。
これが、ソ連が第二次世界大戦から学んだ戦争防止のための教訓です。
ところが、その政策が、それぞれアメリカとソ連をリーダーとする「東西冷戦」を生み出すことになってしまいました。
冷戦下では、両国が直接戦火を交えることはなかったものの、対立の激化は世界に極度の緊張をもたらしました。
また、このようなソ連のあり方は、隣国でありながらその支配下に入ろうとしないアフガニスタンとの間で紛争を引きおこしてしまいました。
「戦争をしないため」周囲を緩衝地帯にしようとするあり方が、結果としては1979年から1989年まで10年もの間、戦争をすることになってしまったのです。
一方、戦争の成功体験から得た教訓が、次の戦争を引き起こすこともあります。
第二次世界大戦で勝利を収めたアメリカは、原爆の開発もあり「世界最強国家」に登り詰めました。
そこで、1950年には朝鮮戦争、1960年代にはベトナム戦争に参戦しました。
けれども、朝鮮戦争は現在も停戦状態が続いていることから勝敗は不明ですし、ベトナム戦争では圧倒的な兵力差があったにもかかわらず負けてしまいました。
負けをしらなかったアメリカが、初めて負けたのです。
ベトナム戦争で深く傷ついたアメリカは、それからしばらく戦争を避けていましたが、冷戦が終わると1991年イラクのクウェート侵攻に端を発する湾岸戦争を起こします。
この時は、ベトナムでの教訓に基づいて多国籍軍を組織し「国際社会の総意に基づく戦争」という仕組みを作り上げて勝利を収めます。
ところが、湾岸戦争の勝利で「強いアメリカ」を確信したのか、2001年の同時多発テロを受けて始めたアフガニスタン戦争とイラク戦争では、湾岸戦争の時のような国際協力体制を整えないまま突入したこともあり、ベトナム戦争と似たような泥沼状態に陥り、結局のところ大失敗に終わってしまいます。
痛い目にあった時だけ反省して、勝てば「次も勝てる」と短絡的に考えてしまうのでは、戦争はなくならないと思います。
一般に戦争には勝者と敗者があり、勝者はその成功体験によって必ず次の戦争を引き起こしてしまいます。
ソ連もアメリカも、自分たちが痛い目にあった時は、失敗を反省して次に活かそうとするのですが、「他山の石」という言葉を知らないようで、あまり他国の失敗から学ぶことはしないようです。
ときに、お釈迦さまのお弟子の一人にチューダ・パンタカという人がいました。
この人は、入門当初は他の人びとから「愚か者」と蔑まれていたのですが、お釈迦さまの導きによって悟りの境地に至ることができました。
どのようにして悟りを得ることができたのかというと、お釈迦さまから一本の箒と「塵をはらい、垢をのぞかん」という言葉を授けられ、やがて日々の成功・失敗の経験を通して身につけたものの見方や考え方と、どこまでもそれに執着するあり方を離れ自由になることの大切に目覚められたのです。
人間は、これまでに多くの人びとの犠牲を通して戦争の悲惨さを痛感し、二度とそれを引き起こさないための教訓を学んだはずなのに、自らの考えや成功体験に執着するあまり、何度も何度も戦争という過ちを繰り返しています。
まさに「過ち繰り返す」という「過ち」を犯しているのです。
これ以上、同じ過ちを繰り返さないためにも、お釈迦さまの教えに真摯に耳を傾けていきたいと思います