親鸞 2015年9月4日

やさしい、わかりよい、そして自分たちの生活に近い話なので、松虫と鈴虫の二人だけに限らず聴法の人々は、聞き入っていた。

「――阿難に向って仏(ぶつ)は、阿難、おまえはこの城の人間たちをどう見るか。

こう問われたことでした。

――浅ましいと思います。

阿難の答に、仏はまだ、不満であったのでしょうか。

こう仰せられたのです。

ワレ知ル、五慾ノ楽シミヲ貪(ムサボ)ルモノハ、必ズ、久シカラズシテ命(メイ)終ルコトヲ。

コノ人(王子勇軍)日夜閣上ニ後宮ノ美嬪(ビヒン)ヲ擁(ヨウ)シ、色慾ニ耽湎(タンメン)スルコト極(キワマ)リナシ。

ワレ云ウ。

コノ人必ズ七日ノ後、マサニ是(カク)ノ如キ快楽(ケラク)ト眷族(ケンゾク)ヲステ、決定(ケツジョウ)必ズ死ニイタルベシ。

こう予言されたのです。

そして、

阿難ヨ、カクノ如キ人モシ慾惑(ヨクワク)ヲステズ、マタ出家セズンバ、必ズ地獄ニ堕(ダ)セン。

阿難は、仏のおことばを聞くと、これは彼を救わなければならないと、その利益(りやく)を胸にもって、ふたたび王子のもとへ訪れました。

王子は、彼がまたもどってきたのを見ると、

好友来ル

ワレニ仏ノ教エヲ説ケ。

しかし、阿難は、ここに彼へ大利益(だいりやく)を与えたいと思うので、黙したまま、何事も答えない。

王子は再三、阿難に向って説法をせがみましたが、阿難が、なお唖(おし)のごとく口をむすんでいるので、ついには、悄然(しょうぜん)として、

大仙、仏法蔵ヲ持(ジ)シテ一切衆生(シュジョウ)を利益(リヤク)ス。

何ノ怨恨

カアッテ独リワレノミニ法を説カザル。

すると、阿難は初めて口をひらいて、さて、惨然(さんぜん)と告げるには、

汝ヨク聴ケ

七日ノ後、汝マサニ死スベシ。

仏のおことばを、そのまま告げて去ったのでした。

王子は、わらいました。

次には、何か怏々(おうおう)として楽しまない気持になってきたのです。

――けれど、そうかといって、仏所をたたいて教えを乞う気にもなれない。

悶々(もんもん)、七日目の日は来ました。

仏ヨ。

ワレヲ助ケテ。

王子は、仏の膝へ走ってきて号泣しました。

仏は、一日一夜、これに説き、これに教え、浄戒(じょうかい)をさずけたのです。

――果たして、王子勇軍の醜い骸(むくろ)は七日めに死んだのであります。

そして、新しく生まれたものは、仏、阿難と共に、この世の、真の光に浴することのできる身をもった、素直な一箇の生命であったのでござる……」

こう例話をむすんで、法然は、

「さて――」と、話を、現在の実社会の世相へもってゆくのであった。

今の民衆のうちにも、こういう可借(あたら)、空(むな)しい人生に蝕(むしば)まれている人はないだろうか。

いや――他人(ひと)を見ずにまず自己(おのれ)を見よう。

ひさしい戦乱も、いつのまにか、遠い過去になり、平氏が興り、平氏が亡び、人は、人生の無常を感じると共に、刹那的な快楽(けらく)を趁(お)い、そして虚無感にとらわれ、その風潮は、今日の民力を、どんなに弱めているか知れない。

これは、国家の病(やまい)となるのみでなく、個々の人間のかなしい相(すがた)だ。

人間とは、そんなあさましいはかない夢を短くみて、それで人間として完全な「生れてきた欣(よろこ)び」――を尽したものといえようか。

同時に、生れてきた使命を、勤めを、生きがいを、果たしたものといえるだろうか。

※「浄戒(じょうかい)」=仏の制定した清らかな戒法・戒行。