やさしい、わかりよい、そして自分たちの生活に近い話なので、松虫と鈴虫の二人だけに限らず聴法の人々は、聞き入っていた。
「――阿難に向って仏(ぶつ)は、阿難、おまえはこの城の人間たちをどう見るか。
こう問われたことでした。
――浅ましいと思います。
阿難の答に、仏はまだ、不満であったのでしょうか。
こう仰せられたのです。
ワレ知ル、五慾ノ楽シミヲ貪(ムサボ)ルモノハ、必ズ、久シカラズシテ命(メイ)終ルコトヲ。
コノ人(王子勇軍)日夜閣上ニ後宮ノ美嬪(ビヒン)ヲ擁(ヨウ)シ、色慾ニ耽湎(タンメン)スルコト極(キワマ)リナシ。
ワレ云ウ。
コノ人必ズ七日ノ後、マサニ是(カク)ノ如キ快楽(ケラク)ト眷族(ケンゾク)ヲステ、決定(ケツジョウ)必ズ死ニイタルベシ。
こう予言されたのです。
そして、
阿難ヨ、カクノ如キ人モシ慾惑(ヨクワク)ヲステズ、マタ出家セズンバ、必ズ地獄ニ堕(ダ)セン。
阿難は、仏のおことばを聞くと、これは彼を救わなければならないと、その利益(りやく)を胸にもって、ふたたび王子のもとへ訪れました。
王子は、彼がまたもどってきたのを見ると、
好友来ル
ワレニ仏ノ教エヲ説ケ。
しかし、阿難は、ここに彼へ大利益(だいりやく)を与えたいと思うので、黙したまま、何事も答えない。
王子は再三、阿難に向って説法をせがみましたが、阿難が、なお唖(おし)のごとく口をむすんでいるので、ついには、悄然(しょうぜん)として、
大仙、仏法蔵ヲ持(ジ)シテ一切衆生(シュジョウ)を利益(リヤク)ス。
何ノ怨恨
カアッテ独リワレノミニ法を説カザル。
すると、阿難は初めて口をひらいて、さて、惨然(さんぜん)と告げるには、
汝ヨク聴ケ
七日ノ後、汝マサニ死スベシ。
仏のおことばを、そのまま告げて去ったのでした。
王子は、わらいました。
次には、何か怏々(おうおう)として楽しまない気持になってきたのです。
――けれど、そうかといって、仏所をたたいて教えを乞う気にもなれない。
悶々(もんもん)、七日目の日は来ました。
仏ヨ。
ワレヲ助ケテ。
王子は、仏の膝へ走ってきて号泣しました。
仏は、一日一夜、これに説き、これに教え、浄戒(じょうかい)をさずけたのです。
――果たして、王子勇軍の醜い骸(むくろ)は七日めに死んだのであります。
そして、新しく生まれたものは、仏、阿難と共に、この世の、真の光に浴することのできる身をもった、素直な一箇の生命であったのでござる……」
こう例話をむすんで、法然は、
「さて――」と、話を、現在の実社会の世相へもってゆくのであった。
今の民衆のうちにも、こういう可借(あたら)、空(むな)しい人生に蝕(むしば)まれている人はないだろうか。
いや――他人(ひと)を見ずにまず自己(おのれ)を見よう。
ひさしい戦乱も、いつのまにか、遠い過去になり、平氏が興り、平氏が亡び、人は、人生の無常を感じると共に、刹那的な快楽(けらく)を趁(お)い、そして虚無感にとらわれ、その風潮は、今日の民力を、どんなに弱めているか知れない。
これは、国家の病(やまい)となるのみでなく、個々の人間のかなしい相(すがた)だ。
人間とは、そんなあさましいはかない夢を短くみて、それで人間として完全な「生れてきた欣(よろこ)び」――を尽したものといえようか。
同時に、生れてきた使命を、勤めを、生きがいを、果たしたものといえるだろうか。
※「浄戒(じょうかい)」=仏の制定した清らかな戒法・戒行。