あなたは「苦」と聞いて何を考えられますか?
痛いこと、辛いこと、身体的な苦しみもあれば、精神的な苦しみもあります。
一般的な場(生活)において「苦」、苦しみといえば
- からだに痛みや苦しみを感じる。
- 心につらく思う。思い悩む。
- 思うような処理方法が見つからず困る。
- 力を尽くして物事を行う。骨折る。苦労する。
といった所でしょうか。
仏教における「苦」とは、「苦しみ」のことではなく「自分の思うようにならない」ことと言った方が分かりやすいかもしれません。
掘り下げて聞いていくと、とても長くなってしまいますので、ここでは最初の触りの部分だけご説明をいたします。
まず『四苦八苦(しくはっく)』という言葉が出てきます。
根本的な苦を
「生(生まれること)」
「老(老いていくこと)」
「病(病気になること)」
「死(死を迎えること)」
の四苦とし、さらに
「愛別離苦(あいべつりく)-愛する者と別離すること」
「怨憎会苦(おんぞうえく)-怨み憎んでいる者に会うこと」
「求不得苦(ぐふとくく)-求める物が得られないこと」
「五蘊盛苦(ごうんじょうく)-五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと)」
の四つの苦を合わせて八苦といいます。
つまりは、私たちの日常こそが「苦」と言えるのではないでしょうか。
しかし私たちの平生の生活は、普段はなんとも思っていない日常があるはずです。
目の前に、辛く悲しいこと、自分ではどうしようもできないことが起こった時に始めて「苦」を実感し、誰かに何かに救いを求めるのが私ではないでしょうか。
目の前の「苦」を取り除く為なら、たくさんのお金を積んでみたり、何かに願いをかけたり、ともするとその「苦」の原因を、先にご往生されたご先祖さまにさえ押し付けて、自分さえ(自分の周囲さえ)よければと考えてしまうのが私という人間です。
しかしそれでは何の解決にもならないとお釈迦さま、そして何より親鸞聖人が説かれています。
南無阿弥陀仏とは「どんなあなたであっても、どんな人生を生きたあなたであっても、決して身捨てることなく、必ず仏とならしめる」とお聞かせをいただきます。
今一度、私たちの命・私の命を見つめた時、「苦」をどう受け取ることができるでしょうか。