ご講師:松尾千歳さん(尚古集成館副館長)
歴史に興味があると、鹿児島は非常に輝いている魅力的なところです。
西郷隆盛や大久保利通を知らない人はまずいません。
薩摩抜きに幕末の歴史を語ることはできないのです。
そして、文化水準も技術水準も非常に高かった。
今年、尚古集成館が明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録されましたが、実は世界遺産にしたいと思ったのは、日本人ではなく外国の研究者でした。
先進国首脳会議などで、アメリカ・イギリス・ドイツなど欧米の国が主体なのに、なぜアジア・アフリカの中で、日本だけが入るのか。
そして、なぜ19世紀日本だけが植民地化を免れて、近代化・工業化に成功したのか。
その答えを求めて鹿児島のこられたのがきっかけだったのです。
実は、日本の近代化・工業化は、鹿児島からスタートしています。
ペリーの来航により、日本は鎖国の眠りから目覚めたというのは日本の大部分では正しいのですが、薩摩にはあてはまりません。
それよりもずっと前から、薩摩の人たちは外国の人たちと接しています。
薩摩に鎖国はなかったのです。
ペリーが来て、日本の他の地域の人たちは慌てますが、薩摩ではペリーが来た頃には、すでに当時としては極めて近代的な工業地帯を造っているのです。
日本の隅っこにある鹿児島ですが、視野を世界に広げると、京都や江戸の方が辺境で、薩摩の方が世界の中心に近かったといえます。
鎖国時代は、外国との窓口といえば、一般的に長崎を連想される方が多いです。
でも、これは江戸幕府が決めたことで、幕府に從う人や国、その国は長崎に向かいますが、イギリスやフランスなどは幕府の指示は聞きません。
地理的に訪れやすいところ、つまり南九州に来ます。
鉄砲やキリスト教の伝来も例外ではないのです。
薩摩には、国内の他の地域よりも早く、世界の最新の情報や技術が入ってきていました。
そのようなこともあり、薩摩は改革にも敏感で、いち早く、日本の近代化をリードしていくことになります。