「この老年(とし)になって――このあるまじき世の態(さま)を見ようとは……」
月輪公は老いた。
一夜のうちに白髪になったかと思うばかりに。
こんどの大事変で――いやそれより前からも心配は絶えない立場にあったが――誰よりも悲しみ、そして誰よりも肉体へこたえたのは、月輪禅公であったにちがいない。
帰依する上人に対して。
また、愛しいわが娘(こ)の聟(むこ)――善信に対して
「……何たること!」
老いの唇をかみしめ、
「わしの身で代われるものなら」
めったに嘆いたり狼狽(うろた)えたりしない彼が、
「いても立ってもおられぬ――」
とさえ口走って、幾日かを、物狂わしげに悲しまれていたという町の人々のうわさも、決して、誇張ではなかったろう
そしていよいよ宣下の日になると、彼は、老いの身を牛車(くるま)に託して、
「吉水へ」と、命じた
吉水へ――これが最後の彼の運びであった。
――光明の道、易行往生の信をもって通った道を、どうして、暗澹たる悲嘆の泥濘(ぬかるみ)として踏まねばならないか、禅閤は、
「……死にたい、もう、人の世がいやになった」
牛車の内で、つぶやいていた。
――来てみれば、ああと、禅閤は思わず太い息をもらした。
なんたる変りようだろう、これが昔日の念仏の声にみちたあの吉水のお住居だろうか。
「…………」
禅閤は、しばらく、牛車のすだれを垂れ籠めたまま泣いていた。
従僕が、
「着きましてございますが」
とうながしても、降りようとしなかった。
門のあたりは、焚火のあとを蹴散らした燃えさしの薪だの、警固の武士がぬぎすてた切れた草鞋(わらじ)だの、馬の糞だの、狼藉を極めた光景だった。
役人の小者や、あばれ武者が、所かまわず飲食するので、野犬がたくさん集まって、禅房の中まで上がり込んでいる。
垣は破れ、門の扉(と)には、今も依然として、丸太の十文字が打ちつけてあって、出入りはすべて、警固の者の槍ぶすまに囲まれている横の小門からすることになっている。
でも――
「月輪公がお越しだ」
「えっ、禅閤が」
こう警固の者にささやきが伝わると、さすがに、前(さき)の関白に対する敬意をよび起され、
「いざ……こちらから」
と、丸太の十文字を取外し、静粛になって、警固の者が案内した。
「上人は、おいでられるかの」
禅閤は、そばの者に訊ねた。
「おられまする。――以来、おらぬような謹慎をされていますが、奥のほうに」
と、役人の一人が答えた。
衣食や――お薬や――そういうことなどもどうしておられたかと、禅閤は、もう誰もが、土足のまま勝手に踏み荒らしている禅房のうちへ、やはり常のように、沓(くつ)を脱(と)って、静かに上がった。
「オオ」
ちらと姿を見た禅房の弟子が、うれしさやら悲しさやらで、思わずこう叫ぶと、上人の常に起き臥すししている奥の一室へ向って、まろぶように駆け込み、
「――月輪殿がお見えなされました。月輪殿が」
と、あわただしくそこにいる上人に告げた。
*「燃(も)えさし」=燃え残り。燃えかけ。燃えきらずに残ったもの。