『悲しみを通さないと 見えてこない世界がある』(中期)

 毎月、フェリーで桜島と鹿児島市を往復する機会があります。

わずか15分ほどの航海ですが、観光地ということもあり、船が出航する際は、日本語に続いて英語・韓国語・中国語のアナウンスが流されます。

また船上デッキに出ると、県外はもとより、国外から旅行に来て乗船しておられる方がたが、カメラやスマホを桜島に向けておられる光景をよく目にします。

私にとっては長年見慣れている桜島の風景ですが、初めて目にされた方がたには、きっと私の目に映っている桜島とは違うイメージで、それぞれの感慨と共に心に刻まれていることと思われます。

いつも見慣れている風景であるが故に、雄大な桜島を目の当たりにしても特に感慨に浸ることもなく、そこにあるのが当たり前のように思ってしまっているのですが、もし紙と筆記用具を渡されて、いきなり「桜島を描いてもらえますか」と求められると、おそらくいい加減な絵になってしまうような気がします。

 それは、日頃よく見て知っているつもりでいても、強く意識しながら見てはいないために、実は少しも見えていないのではないかと思うからです。

にもかかわらず、その一方自分では、見慣れているが故に、桜島のことはよく知っているつもりになっていたりもします。

同じように、私たちは周囲の人たちに対しても、近くにいればいるほど、その人のことはよく理解していると思っています。

けれども、もしかすると一方的な見方をして、単に分かったつもりになっているだけなのかもしれません。

 以前、あるご家庭の三回忌のご法事にお参りさせて頂いた時のことです。

読経・法話が終わりお茶を頂いている時、自営業をなさっている施主の方が、次のようなことを話してくださいました。

『父の仕事を引き継いで社長になってからも、時折父が仕事のことについて私に意見をすることがありました。

その時は「言われなくても分かっているのに…」と思いながら、いい加減な気持ちで聞いていました。

父を亡くして今年でまる二年になりますが、この二年の間、仕事の上でいろいろと決断を迫られることがありました。

不思議なことに、そのような時なぜか生前父が私に語ってくれていた言葉が思い出されました。

そして、その言葉に背中を押されて決断をしてきました。

きっと父は、私がうるさいと思っていると感じつつも、煙たがられることを承知の上で、私のために語りかけてくれていたのだと気付かされたことでした。

改めて父の恩を深く感じることのできた、この二年間でした。』と。

 大切な人が亡くなってしまわれると、今生においてその方と会うことは二度とできません。

けれども、肉体的に会うことはかないませんが、死なれてみて初めて出会うことのできる世界があるということが、このお話を通して知られます。

おそらく、お父さんが生きておられる間は、先に自分の中にお父さんに対する期待や要求などがあり、そこからお父さんを見ておられたことと思われます。

それ故「父親ならこうしてくれて当然ではないか」というような思いがあり、しかし現実にはなかなかそうならないことから、腹を立てたり、文句を言ったりされたことがあったかもしれません。

したがって、そのようなあり方においては、少しでもお父さんの心を見ようすることはなかったかもしれません。

 考えてみますと、日頃私たちは親なら親に対して、あるいは夫や妻、兄弟・姉妹、子どもに対しても、一緒に暮らしておりながら、いつも自分の身勝手な要求ばかりを相手に押しつけて、泣いたり、笑ったりしているような気がします。

それは、本当の意味では、少しも家族一人ひとりと真の意味では出会ってはいないということです。

 ところが、家族の誰かに死なれたときは、もう私の身勝手な要求をその亡くなった方に押しつけることはできなくなりなります。

そうなってみて初めて、親なら親に対して「あの時の父の気持ちはこうだったのか。

あの時、父はこういうことを考えていたのか」ということに頷くことができるのだと思います。

死別の悲しみをくぐって初めて、お父さんが生きておられる間はなかなか気付くことのできなかった自分を思いやる心に気付くことができたというお話を伺いながら、私たちには、確かに悲しみを通さないと見えてこない世界があるのだということを教えて頂いたことです。