親鸞の歌う楽しげな節につり込まれて、百姓たちも、
一念帰命の苗を植え
念々称名の水をかけ
往生の秋になりぬれば
実りを見るこそうれしけれ
歌の通ってゆく後へ後へと、青い田ができて行くのだった。
植えられた苗にはすぐ、生々と青いそよ風がうごいていた。
「ああ、自分も教えられるし、人にもこの教化(きょうげ)は生かされてゆくだろう」
親鸞は、泥田に感謝した。
この泥田こそ、どんな荘厳な教殿にも七宝の伽藍にも勝る教化の道場であるぞと思った。
――こういう生きた道場があるのに、前人有徳の聖者たちが、誰ひとりあって、土と汗の中で、こういう生きた教化に従事した例があるだろうか。
師法然の訃を途上で聞いて、都へ上洛(のぼ)るのを断念して、野(や)へ去った親鸞の本願は、今こそ届いた。
ありのままに――愚のままに――衆と共に――と願った彼の生活にも、今は焦燥もない。
百姓たちは、自分たちの群れの中に、上人を交えているのさえ大きな歓びだったのに、昨日までは、働くことは厭なことであり、辛いことだとばかり考えていたのに、汗というものに対して、
「これで安心して食えるばかりでなく、この汗のために、家族が肥え、世間が富む。働きもせずぐちをいってるなんて馬鹿なことだ。百姓こそは、国の宝じゃ、百姓は国の大みたからだ。なるほど嘘じゃない。働いて働いて――念々称名していれば、この大安心があるものを……」
農の仕事は、いやしい仕事と、自分で自分の転職を卑下していたものが、彼らのそれは誇りとなってきた。
幸福感と張合いにみちてきた。
汗は希望となり光となり、一日のあいだ、仕事の嫌悪を、思い出す間がなかった。
腰を伸ばして、ふと空を仰ぐと、いつの間にか、夕月があった。
「おお、もう手元が暗い、田から上がって、嬶(かか)や子と、晩飯じゃ。飯がすんだら、お上人様のところへお邪魔に寄って、なんぞまた、有難いお話しを聞きたいものよの」
そのうちに一人が、
「お上人様、お上人様」
と、呼んだ。
「おい」
と、上人は泥によごれた足を、畦の流れで洗いながら、百姓ことばで答えた。
「なんじゃの、与茂作どの」
「あれごろうじませや、あちらの田ン圃(たんぼ)の向こうから、裏方様の背におぶさった姫さまが、こちらを見て、可愛いお手々を振ってござらっしゃるではないか」
「ほ、ほ……ほんにの」
親鸞も、微笑を送った。
「可愛や、お父さまの姿を見て、はよう田から上がりなされと呼んでござらっしゃるのじゃ。お父様も、手を振っておあげなされ」
「こうか、こうか」
親鸞は、いわれるまま、手を振りまわした。
――念々称名の水をかけ
往生の秋になりぬれば
と、百姓たちは、農具を肩にかついで、三々伍々、唄って帰った。
――そして、稲田の草庵の前を通る時には、どんな幼い者でも、必ず、
「――なむあみだぶつ」と、御堂の中の阿弥陀如来へ向って、外から礼をして通った。