さつまの真宗禁教史1月(前期)

三十七回

真宗解禁と本願寺(その1)

真宗禁制の解禁

室町時代末期から300余年一貫した真宗禁止政策は明治9年に解禁されました。

解禁の直接の理由は明治維新政府の「廃藩置県政策」でした。

すなわち鹿児島の大隅国と宮崎の南那珂郡が都城県として合併されました。

この時、大隅国の真宗が解禁されました。

しかし明治6年には大隅国が再び鹿児島県に加えられ、大隅国は再び禁止されました。

こうして今まで真宗が禁止されていた鹿児島藩と禁止されていなかった宮崎県の一部が合併したので行政上不都合が生じ解禁せざるをえませんでした。

鹿児島県警察署長野村忍介が、西郷隆盛に、真宗解禁について諮問しました。

この時、西郷が「明治八年八月二十一日、鹿児島県と宮崎県が合併された。

そこで旧薩摩藩領と、真宗が許されていた延岡・高鍋・佐渡原の各旧藩及び天領が一緒になったので、混乱が起るのは必至である。

それゆえに解禁せざるをえないであろう」と回答したために真宗が解禁された、と「西南紀伝」に記録されています。