手紙のちから

「まっさきに気がついている君からの手紙 いちばん最後にあける」

これは歌人の俵万智さんの歌です。

郵便屋さんが毎日届ける手紙の中に、手書きの宛名を見ることは少なくなりました。

時折、手書きで書かれた自分の宛名を見ると、「はて?これは誰の字だったかしら…」と思うものです。

ダイレクトメールの場合もありますが、特徴のある字だとだいたい誰から来たのか見当がつきます。

でも、最近はラインやメールで連絡を取ってしまいがちですね。

早いし、便利ではありますが少し寂しい気もします。

さて、先日誕生日を迎えた小学2年生の我が息子。

何やら一生懸命はがきを書いていました。

こっそり見てみると、離れて暮らしている祖父母宛てでした。

内容は…「もうすぐぼくのたん生日です。たん生日には○○をもらえるとうれしいです。よろしくおねがいします。」というものでした。

そして、無事に誕生日にはおねだりしたものを手に入れた息子。

よく観察していると、日頃から手紙をよく書いています。

2つ上のお姉ちゃんとケンカした時は「さっきはごめんね」と言うメモを机に置き、家族の誕生日にはその家族に「おめでとう」のメッセージを渡しています。

きわめつけはある日の朝、家族みんなのテーブルの席に一つずつ手紙があり、その中には「おいそがしいところすみませんが、ぼくのちょきんばこにお金を入れて下さい。おれいはいたします。」と書いてありました。

どうやら旅行先のテーマパークで買いたいものがあり、そのためにお小遣いを貯めている様子。

「おれい」とは「おみやげ」のことなのでした。

直接言われるより手紙で言われるとついその気になることもありますね。

みんなさっそく貯金箱に入れていました。

さて、お手紙というと忘れてはならないのが、蓮如上人が私たちに残して下さった『御文章』です。

皆さんもいろんな機会に聴かれたことがあるのではないでしょうか。

私も幼い頃はよく意味がわからないまま聴いておりましたが、最近やっとお手紙に書かれたお心がわかるようになりました。

こうやって時代を超えて何度も読み返せるというのも手紙のよいところです。

最後に最近一番衝撃を受けた手紙があります。

それは虐待でなくなった5歳の女の子の残した手紙です。

「もうちょっとちゃんとできるようにするから もうゆるしてください」といった内容で、虐待していた両親にあてたものでした。

字の練習をさせられていたというこの子が、習ったばかりの字で書いた悲しいメッセージ。

どんな気持ちでこの手紙を書いたのでしょう。

今ではきくことはかないませんが、この手紙の存在がなかったら、この女の子は誰にも自分のことを伝えることがなかったのです。

改めて、手紙の力を感じる出来事でした。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。