2018年6月、私は朝早くにヨルダンを出発し、イスラエルに入った。
国境でバスを降り入国審査をしていると2回の揺れ。
窓ガラスが音を立てる。
外に出て遠くを見ると大きな噴煙が高々と立ち上る。
おそらく何かが爆発したのだろう。
そういえば、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認めたことに対し、イスラエル人とパレスチナ人(アラブ人)の争いが過熱していたことを思い出した。
出だしから緊張感が高まる。
国境からバスに揺られること20分程でエルサレムに到着。
バスを一歩降りたその瞬間、オセロのボードを埋め尽くした黒い石が一瞬で真っ白になっていくようなそんな感覚になった。
そこには紛争とは程遠い、ヨーロッパのような綺麗な街並み。
おしゃれなファッションに身を包んだ若者ら、海外からの旅行者が街を歩く。
街の至るところでストリートミュージシャンが音楽を奏でる。
鹿児島の路面電車よりも遥かに進んだ近代的な路面電車が行き交い、カフェでは犬を連れたご婦人がお茶をしている。
真っ黒に日焼けして重いバックを背負いボロボロの服を着た私が浮いてしまうようなそんな街。
ここがエルサレムの新市街。
私がエルサレムに抱いていた危険なイメージがガラッと変わった瞬間だった。
この新市街には驚かされたが、正直私はこの新市街に興味はない。
私が行きたかったのは旧市街、城壁の中だ。
新市街から歩いてすぐ。
城壁に囲まれた1Km2の区画を旧市街と言う。
東京ディズニーランド二つ分ほどのこの地が、私の来たかった世界遺産エルサレム。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地である。
城壁の中に入るとまたガラッと雰囲気が変わる。
ユダヤ教徒区域、キリスト教徒区域、イスラム教徒区域、アルメニア人区域と綺麗に四つの区画に分けられてある。
町並みは同じでも住む人が違えば雰囲気が変わり、城壁の中は非常に入り組んでいて迷うこともあるが、お店に売っているもの、人の雰囲気(優しい・冷たい・うるさい・静か・だましてくる・誠実・服装)、街の雰囲気(きれい・きたない)などで、自分がどの区域にいるのかすぐに理解することができた。
中学校の時だっただろうか、「ここは絶対テストにでるからね」と先生に言われた“エルサレム”。
そのど真ん中に宿を借りて5日間生活することに胸が躍った。
夜明け前、ムスリム(イスラム教徒)の礼拝堂・モスクから爆音が流れてくる。
これはムスリムが行う1日5回の礼拝の合図でアザールという。
これによって眠りから起こされる。
うるさいなと思いながら再び寝る。
寝入ったところに今度はキリスト教会の鐘が鳴る。
この鐘に合わせて起きたら、丁度朝食の時間となる。
朝食を食べて外へ出る。
宿から一歩出るとそこはもう世界遺産。
プラプラと石畳の町並みを散歩する。
どこへ行っても宗教一色である。
宿から歩いてすぐのところにあるのが、「歎きの壁」である。
この場所には、はるか昔、ユダヤ教徒の礼拝の中心であったエルサレム神殿が建っていた。
しかし、BC70年頃にローマ軍によって破壊され、ユダヤ人たちは祖国を追われ世界中に散らばっていった。
この時にエルサレム神殿の西側の壁だけが残り、今「歎きの壁」となっている。
ここにユダヤ教の信者が大勢集まり祖国の喪失を歎き、祖国の復興を祈っている。
嘆きの壁のすぐ奥に見えるのは岩のドームである。
ここには大切な“岩”がある。
預言者ムハンマドが、この岩から天に昇り、神の前に招かれ啓示を受けたとされており、ムスリムにとって大切な岩であるから、この岩を覆い隠し「岩のドーム」を作った。
岩のドームは、現在イスラム教徒しか入ることか許されておらず、中を見ることはできなかった。
そしてそのすぐ近くには、イエス・キリストが十字架を背負って歩いたとされる道がある。
その道の向かう先が「聖墳墓教会」である。
処刑されたイエスが埋葬され、復活を遂げたと言われる石墓がある。
ここに多くのキリスト教徒の方が深く頭を下げてお祈りされていた。
もちろんその他にもたくさんの教会やモスクや礼拝所があり、信徒が足を運ぶ。
私は宗派に関わらず宗教儀礼があると聞けば、覗きにいってみる。
深く祈りを捧げている人を見かけると、邪魔にならない少し離れたところに座り同じ時間を過ごしてみる。
何を祈るわけでもなく、ただその人と同じ時を過ごす。
時が止まる感覚。
宗教と言うのは、言葉がなくとも温かい。
5日間の多くを、私はそうやって過ごした。
このエルサレムは宗教色の強く素晴らしい場所であるが、中東問題の中心にあることを忘れることはできない。
どこへいってもイスラエル兵が銃を構え、目を光らせている。
この地は、もともとカナンの地と呼ばれ、エジプトから脱出してきたユダヤ人がモーセに導かれて古代イスラエルをつくった場所である。
その後BC70年頃にローマ帝国によって滅ぼされ、ユダヤ人は世界各国に散らばることになる。
ローマ帝国時代にこの地方はパレスチナと呼ばれるようになり、15世紀に入ってオスマン帝国が東ローマ帝国を滅ぼした。
その頃からこの地にアラブ人が暮らすようになったそうである。
そして、第二次世界大戦のときのイギリスの二枚舌外交・三枚舌外交によって混乱を深め、4度の中東戦争を経て今に至る。
様々な思惑に振り回されながら、ユダヤ人はこの地は神から与えられた私たちの国(イスラエル)であると主張し、パレスチナ人(アラブ人)もこの地は私たちの国(パレスチナ)であると主張する。
ユダヤ人もパレスチナ人もお互いが自分たちの国を守りたい。
なによりもエルサレムと言う聖地・自分たちの居場所を奪われたくないと主張し合うのだ。
私が泊まった宿はゲストハウスで、1つの大部屋に2段ベッドが10個ほどある。
5日間も滞在すると旅人たちが入れ替わる。
何人か日本人と会うことができた。
その多くが世界一周旅行者だ。
私がお坊さんだと聞くと、決まり文句のように「宗教って何ですか?」と聞いてくる。
世界のどこを旅しても、これほどまで宗教の話を持ち掛けられたことはなかった。
しかし、この質問には困った。
教科書に書いてある「宗教とは、宗の教えで、、、」というような卓上の言葉では表現できない深い宗教世界が目の前に広がっているからだ。
この問いをもらうたびに念仏者としての底の浅さが身に染みた。
彼らと話をしていて、エルサレムを訪れた感想はおおかた二つに分かれるようである。
一つは“美しい”という感想。
もう一つは“宗教は危険である”という感想。
“美しい”と答えた方は、神に向かって真っすぐに、時には涙を流しながら祈りを捧げるその一人一人の信仰の姿に美しさを感じ、日本ではその美しさはなかなか見られないという意見であった。
“宗教は危険”と答えた方は、宗教が中東問題など争いの大きな要因となっていることを挙げ、日本人は一つの宗教に固執せずに寛容で、いわゆる無宗教であるから宗教で争うことがない。
この寛容さが日本のいいところだと再確認したという意見だ(無宗教が良いのか、悪いのかについては別の回に譲るとして・・・・)。
いずれにしても世界一周している人たちの宗教観は独特のものがあり惹きつけられた。
私にとってのエルサレムは、宗教の不思議な温もりと戦争の冷たさを持ち、すべての旅人に“宗教とは何か?”という大きな問いを投げかける、そんな街だった。