みんなに話したくなる桜島のヒミツ(中期)ほぼ100年に一度起こる大噴火

桜島の大噴火は過去に17回あったということが分かっています。

噴火をしたときの軽石の下にある当時の地面の中から土を取り出すと炭素が入っています。

炭素の中には非常に不安定で放射線を出す炭素が微量含まれています。

それを調べると何年くらい前に噴火したかが分かります。

最古の地層が何年前のものなのかが判明すれば、桜島の年が分かります。

桜島は2万6千年前にできたといわれています。

火山の寿命は数十万年前から百万年程度といわれていますので、桜島はまだまだ若い活火山ということです。

これからも噴火を続けて、定期的に大噴火もすると思われますが、けれどもそれがいつなのかということを予測するのは今の科学でも困難です。

今から100年ほど前に大正の大噴火がありました。

その前が江戸時代の1779年の安永の噴火です。

その前は1471年の文明の噴火と呼ばれるもので室町時代の末期ぐらいです。

ほぼ100年から数百年の間隔で大噴火が発生しています。

大正の大噴火では桜島で40名、鹿児島市街地で20名の方が亡くなっています。

大災害が起きると記録や後世の人々へ重要なメッセージが残されていますが。

大正の大噴火の際には石碑に「噴火の前には異変がある」と記されていて、地震が多く発生することが示されています。

噴火の前日には一時間に20回から30回、数分に一度は震度3から震度5ぐらいの体に感じる地震が起きていました。

今は多くの観測機器等があり詳しい情報も出ますが、過去の実例を知っておくことも大切です。

桜島のここ数百年の噴火には特徴的なものがあります。

注目してほしいのが、どこから噴火をしているかです。

山の頂上からではなく、バリバリと中腹等の地面を割り、割れ目に火口を作って噴出しているのです。

これは押上げられるマグマの量が多いためです。

大正の大噴火は上空2万メートルという飛行機が飛行する高さの2倍くらいまで噴煙が上がり、そこからバラバラと石が降るという状況が丸一日続き、黒髪地区の神社の鳥居は、上の部分だけを残して埋没するほどでした。

そのあと溶岩がどろどろと流れてきました。

桜島の溶岩は粘り気が強く、ゆっくりと流れます。

この溶岩が桜島と大隅半島を陸続きにしました。

古い地図をみると、ここには瀬戸という集落があり、幕末のころには造船所がありました。

日本で最初の西洋式の軍艦「昇平丸」が造られた場所です。

日の丸の旗とも深く関わりがある場所です。

昭和21年の噴火では、溶岩が麓の集落に到達するまでに3週間程かかったので、集落の人々は家を解体して別の土地に移築したようです。

終戦直後で米兵も多く、手伝ったという逸話も残っています。

大噴火は、溶岩流よりも大噴火による降石、火砕流、降雨による土石流の発生、地震による家の倒壊などが怖いのです。

噴火の初期にそういう事象が起こるために避難など次善の対応が重要です。