フェイクニュース

近年「フェイクニュース」という言葉をよく見たり聞いたりするようになりました。

フェイクニュースとは、直訳すると「嘘の報道」ですが、この言葉が世に知られるようになったのは、2016年のイギリスにおいて「EU離脱の是非を問う国民投票」が行われた時と、アメリカの「大統領選挙」が行われた時です。

いずれも、多くのフェイクニュースが拡散され、人々の投票行動に大きな影響を与えたという批判が出ました。

また、先月行われたアメリカの「上院・下院議員選挙」でも、選挙期間中にこの言葉が多く聞かれました。

日本でも選挙の際には、立候補者の名声を貶めたり傷つけたりしようとする虚偽情報が対立候補の陣営からまことしやかに流されたりすることもあるようですが、今回の上院・下院議員選挙で違和感を覚えたのは、現職のアメリカ大統領が率先してフェイクニュースを連日のように発信していたことです。

今回トランプ大統領が選挙に関して発信したフェイクニュースには二通りあって、一つは対立する民主党をの議員を貶めようとするもの、もう一つは与党である共和党を応援するものでした。

その内容は、極めて一方的な見方や考え方に基づくもので、いわゆる独善的と思えるものがほとんどでした。

これまで、私たちは世の中の動きや出来事について考える場合、主としてテレビのニュースや新聞報道を通して自分なりに考えたり、識者の論評などを参考にしたりすることが多かったのですが、現代社会はネット化が進んだことにより、テレビや新聞よりもネットから情報を得ようとする人が増えてきました。

また、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービスのこと。

登録した会員同士が双方向で情報のやりとりができるインターネット上の交流サイト)を通じて、情報を得ようする人も多くなってきました。

ここで問題なのは、ネット上には個人が発信したフェイクニュースが満ち溢れているので、それらの中から何が正しくて何が嘘なのかをきちんと見極めるのが難しいということです。

たとえ、情報の内容がすべて嘘ではなくても、ニュースの発信者が意図的に人々をある特定の方向に誘導しようという意図のもとに配信すると、それを信じてしまう人も少なからずいたりします。

それは「人は信じたいものを信じる」傾向があるからで、その情報が本当かどうかということよりも、そこでは自分が信じたい内容かどうかということが優先されてしまいます。

しかもそれは、人は無意識のうちにそうしてしまうのです。

蓮如上人が 「得てに聞く」とか「意巧に聞く」という言葉で注意しておられるのですが、私たちは仏さまの教えを聞くとき、心が無意識のうちに自分の都合のいいように聞きわけ、聞き変えてしまうと言われます。

「信じたいものを信じる」というあり方と重なるように思われます。

さらに、ネット社会においては、パソコンやスマートフォンがあれば、誰でも簡単に世界に向かって情報を発信することができます。

情報を得た人は転送や共有をすることで、今度はその人が発信者として機能し始めることができるので、フェイクニュースが流されると、それを信じた人が次々と拡散してし、いつの間にか多くの人があたかもその嘘の情報を本当であるかのように信じてしまう危険性があるのです。

例えば、イギリスの国民投票ではEU離脱派がEU残留派を上回りましたが、その際に離脱派が主張していた「イギリスのEUへの週約3億5千万ポンドの負担額」という情報はフェイクで、投票後負担額はその半分以下に過ぎないことが明らかになりました。

更に、離脱派の急先鋒であったファラージイギリス独立党・党首が、それが虚偽の数字であったことをあっさり認めたことから、離脱賛成に投票した国民から批判の声が上がりました。

批判の声があがったということから、離脱に賛成した人の中には、嘘の情報を信じて投票してしまった人が少なからずいたことが推察されます。

また、アメリカ大統領選では、「ローマ法王がトランプ支持を表明した」「ヒラリーが過激派組織IS(イスラム国)に武器を供与した」という、明らかな嘘のニュースも拡散しました。

この他、フェイクニュースをうのみにしたパキスタン国防相が、核兵器の使用を示唆するような投稿をTwitter上に流すという騒動が起こったり、日本国内でも熊本地震の発生直後「動物園のライオンが脱走した」という偽情報が別の画像と共に拡散したりしました(このアェイクニュースをいたずら気分で投稿したという男性は、偽計業務妨害容疑で逮捕されました)。

親鸞聖人は「この世の中は、嘘や偽りの言葉、中身のない言葉ばかりで、まことの言葉はない」と述べておられますが、フェイクニュースが満ちあふれている昨今の社会状況をみると、「まさにその通りだな」と思わざるを得ません。

親鸞聖人は、先の言葉を「ただ念仏のみぞまことにておはします」と結んでおられます。

嘘や偽りの言葉が満ちあふれている世の中だからこそ、いよいよ念仏の真実に耳を傾けたいと思うことです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。