お酒の首元の斜めラベルに「復興はこの手で」と書きました。
行政などに頼る前に自分たちの力で、できることから取り組んでいかなければならないと思ったのです。
震災から1か月半後、私は気仙沼市内のある場所に3坪のプレハブを置いて酒店の商いを始めました。
「いつか創業の地に戻ろう」と言って、息子たちとそのバラックのような店でがんばりました。
2年前の12月17日に新店舗をオープンし、このとき2階に人が集まれるスペースをつくりました。
お酒やワインを楽しむ会、落語会、コンサートなどを開催しています。
ご近所の方々が集まって裁縫など創作活動をする場にもなっています。
町もだいぶ整備され商店街にも賑わいが戻って、今年の夏に公営住宅前でお祭りをしました。
ただ声をかけても閉鎖的な部分や「俺はいいよ」と消極的な人もいます。
お祭り自体もこれからですし、人と人が関わり合って声を掛け合う親しいコミュニケーショの築きなおしにかなりの時間がかかるということをひしひしと感じました。
私の酒屋は、2019年で創業100年になります。
地域でこつこつと商いを続けてきたのですが、震災がありもう無理かなと思ったこともありました。
しかし、多くの人に支えていただき、おかげさまで100周年に辿りつくことができます。
そこで何かしようと思い「そうだ、田んぼを借りて酒造米を作ろう」ということになりました。
来年4月に創業100周年のお祝いをして特別純米酒の4号瓶と一升瓶を発売する予定です。
現在、気仙沼と大島との間に鶴亀大橋(気仙沼大島大橋)の架橋工事も進み、劇的に気仙沼の風景が変わりつつあります。
震災の前の姿にとらわれ過ぎず、新たな街を創るのだという思いで取り組まなければならないし、その橋を通って「あっ、気仙沼だ。気仙沼に行こう」と言ってもらえるような街づくりをしたいてと、みんなで声を掛け合っています。
恋文「あなたへ」
京都の紙屋さんで「大切な人に手紙を書こう」という企画があり、ある女性から「書くことで悲しみが癒されるから書きなさい」と勧められ、私は行方不明の夫に宛てて「あなたへ」という手紙を書きました。
その手紙が恋文大賞をいただきました。
結果的にこの手紙を書かせてくれた主人は、今の我が家を支えるご縁の種を蒔いてくれました。
ほんとうに悲しみこそが私に生きる力を与えてくれたのだと思っています。
あなたへ
蝉がうるさいくらい鳴いています。
今日は8月21日 日曜日。
お盆も過ぎて町は静かになりました。
あなたが突然いなくなって5か月と10日、もう5か月、まだ5か月ととても複雑です。
あの日忘れようにも忘れられない東日本大震災が起きました。
あなたは迎えに行った私と手を取り合った瞬間、すさまじい勢いで波にのまれ わたしの目の前から消えました。
あなたはいったいどこへ行ってしまったのでしょう。
あの時から私の心はコンクリート詰めになり、山々が新緑に覆われても桜が咲いても何も感じることができず、声を上げて泣くことさえもできずにおります。
そして息子たちも私も語りつくせぬほどの様々なことがあって今日に至ります。
突然いなくなったあなたに伝えたいこと、聞いてもらいたいことが山ほどあって、心の整理もつかないけれど手紙をかくことにしました。
お店のこと心配していますか。
お店は沢山の方々の応援をいただいて、7月23日仮店舗をオープンしました。
13坪の土地に3坪のプレハブ、テントを一張、混乱の中で息子たちは本当によく頑張りました。
そのお店の真向かいには一軒家も借りることができ、家族5人で暮らしています。
全国の皆さんからは沢山のご支援をいただき、その上素晴らしい方々とも出会うことができました。
また私が書いたお酒の「負げねえぞ気仙沼」のラベルがとても好評で、多くの方々に買っていただいています。
ある方に「これはだんなさまが書かせてくれたのよ」と言われました。
私もきっとそうだと思っています。
何も言えずに別れてしまったから「ありがとう」と伝えたくてせつなくて悲しくてどうしようもないけれど38年間いっしょにいてくれて仲良くしてくれてほんとうにありがとう。
守ってくれて支えてくれてありがとう。
感謝しています。
これからは、あなたが必死で守ってきたお店ののれんは、私が息子たちと守ります。
大丈夫です。
あなたはきっとどこかで私たちのことを見守ってくれているのでしょう。
季節の巡りは早く間もなく涼風が吹いて秋がやってきます。
願わくは寒くなる前に 雪の季節が来る前にお帰りください。
なんとしても帰ってきてください。
家族みんなで待っています。
わたしはいつものようにお店で待っています。
唯々ひたすらあなたのお帰りを待っています。
平成23年8月21日 菅原文子
菅原豊和様