「悲しみの中から生き抜く力を~ご縁に生かされて」(後期)ご縁のつながりを大切に 心の復興を

この手紙を書いて10か月後に主人は発見され、帰ってきてくれました。

三回忌には西本願寺の傾聴ボランティアをされている僧侶の金沢豊さんが私の店の跡地に来てくださって「無常は希望である」というお話をしてくださいました。

今は辛いけれどもその辛さから逃げることなく、立ち向かっていけばきっと希望に繋がるというお話でした。

別の僧侶は「亡くなった人の分まで生きなくていいから、あなたの人生を一生懸命生きなさい。そうすることが亡くなった人たちの供養になりますよ」と言ってくださいました。

無我夢中で震災から3年たったころ、一番大切なものは何だろうと考えているときに、京都の中央仏教学院とご縁がありました。

私はなんとも言えない悲しみのなかで、悲しみが心の中でどっしりと重しになって私を支えてくれている、この安堵感はいったい何なのだろう、この穏やかな気持ちは何なのだろうと思い、深く学びたいと思って中央仏教学院の入門課程に入門しました。

私は仏教を学んだおかげで、さまざまなことが苦の種となるも幸せの種となるもそれは自分の心の持ちようで、今は苦しいけれどその苦しみの中から何かを得ることができる。

この先きっと希望がある。

「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えさせてもらって心を穏やかにし、今日もがんばろうという生き方ができるようになりました。

東日本大震災以降も熊本県や広島県、北海道、岡山県、四国などで大きな災害が発生しています。

テレビ映像を見るたびに「私たちもああだったね」とほんとうに心が痛くなります。

私たちはこの7年8か月、たくさんの人に励ましをいただいて一生懸命がんばってきました。

ですから、しっかりとした後ろ姿、しっかり前を向いてがんばっている姿を見せることが新たな被災地の方々への一番のエールになるのではないかと思います。

被災地の復興に携わられた方が「地域全体がまとまりの良い所は復興が早い」と言っておられました。

心の復興も同じです。

みんなで声を掛け合って、離れ離れになってもお互いに情報交換するなどのご近所付きあいが尊いということです。

普段から毎日の生活がどんなに尊いか、ご近所さんがどんなに尊いか、そして自分の住んでいる町地域をみんなで愛しみ、皆がしあわせであってほしいと願っています。