2019年5月法話『話したい人がいるという幸せ』(後期)

今月から改元されて「平成」から「令和」の時代が始まりました。

どこを見渡しても、新たな元号に、新たなスタートに期待が膨らんでいるようですが、そんな期待すら持てない子どもたちが、この日本にはたくさんいます。

平成12年に、児童虐待の禁止、児童虐待の早期発見・早期対応、虐待を受けた児童の適切な保護等を規定した「児童虐待の防止等に関する法律」が施行されましたが、悲惨な事件は後を絶つことがありません。

今年1月、千葉県野田市の小学4年生の女の子が、両親に虐待され死亡した事件がありましたが、その事件を受け、厚生労働省と文部科学省の合同プロジェクトチームが3月28日、全国で児童虐待の緊急安全確認を実施した結果、児童相談所が在宅で指導している3万7806人のうち、35人が所在不明だったと発表しました。

安全確認の中で、あざが発見されるなどした144人を一時保護し、26人を児童養護施設などに入所させ、計170人に虐待の疑いがあったとのことです。

その背景には、少子化や核家族化、地域コミュニティの希薄化が影響していると言われますが、SOSを出すことのできない、聞いてもらう場所がないという、孤立させられた状況もあると言われます。

なぜ我が子を虐待するのか、どうしたら子供を救えるのか。

子どもの話をもっと聞いてくれる人がいたなら。

両親それぞれが抱える悩みを聞いてあげる人がいたなら。

話を聞いてほしいのに、そこには誰もいなかったのではないでしょうか。

今 世界各地で、「貧困」「飢餓」「不平等」「環境」など合計十七の目標を掲げた、「持続可能な開発目標が設定されたSDGS」に取り組み、「誰一人取り残さない」(誰一人置き去りにしない)の理念のもと、様々な企業や団体が活動を展開しています。

その中、日本では全国各地で「子ども食堂」という活動が広がりを見せています。

十分なご飯を食べられない子どもたちや、人とのつながりを求める大人、みんなが一緒に温かくなれる場所として求められているからこそ、大きな動きとなっているのではないでしょうか。

また、お供えとしていただいたお菓子等を集め、必要とされる施設や家庭に送る「おてらおやつクラブ」も全国展開されています。

子どもたち、その親、すべての将来を考える一人一人が、自分に出来ることを始めることが重要です。

虐待のニュースを見て、私自身も胸が締め付けられ、その内容から目を背け、耳を塞ぎたくなります。

そしてなにより憤りを感じます。

しかし、浄土真宗をお伝え下さった親鸞聖人のお言葉に次の言葉があります。

「さるべき業縁(ごうえん)のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」

これは、私という存在は、あらゆる縁によってうながされたならば、どんな行いもする可能性があるという意味です。

置かれた状況が逆であったならば、もし自分が想定もしてないような状況に追い込まれてしまったならば、何をしでかすかわからないのが、私たちの本当の姿です。

都合のいい時は何もせず、都合が悪くなった時だけ、はたまた自分の望みを叶えたい時だけ、「神様 仏様 どうかお願いします」と願い事する私たちの姿はどう見えるでしょうか。

そんな私だからこそ、心配で仕方がないと言ってくださる仏様が阿弥陀如来という仏様です。

だからこそ、仏法をいただく私たち一人一人が、多くのご縁をつないでいくことが、そのご縁や声掛けが、すぐそばでSOSを出している所へ気づきをあげられるかもしれません。

話したいとき、相談したいとき、何も言わずともじっと聞いてくれる人がいるだけで、救われていく人はたくさんいるはずです。

決して他人事とはせずに、自分にできることを少しずつでも初めていくことのできるような新たな時代でありたいと思います。

南無阿弥陀仏