歴史は書き換えられる

先月下旬、閣議で平成31年版「外交青書」が外相によって報告されました。

その中の日韓関係については、いわゆる徴用工判決など、韓国側が作り出した数々の問題にふれて「非常に厳しい状況に直面した」と説明し、これまで用いてきた「未来志向」の文言を削除し、日韓関係が厳しい状況にあることを反映させた記述内容が盛り込まれました。

具体的には、徴用工訴訟で日本企業に賠償を命じた韓国最高裁の判決のほか、韓国国会議員の竹島(島根県隠岐の島町)への上陸、韓国海軍艦艇による海上自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射事件などを列挙して「韓国側による否定的な動き」が相次いだと指摘。

平成29年度・30年度版に盛り込んでいた「相互の信頼の下、未来志向の新時代へと発展させていく」との記述は削除しました。

また、平成27年末の日韓合意で「最終的かつ不可逆的な解決」を確認したにもかかわらず、韓国・文在寅政権が蒸し返した慰安婦問題をめぐっては2ページを割いて特集し、日本の立場を詳述しました。

韓国との間には、この他にも竹島をめぐる領土問題や歴史認識の違いなど、多くの軋轢が生じています。

特に、歴史認識については日韓双方に大きな隔たりがあります。

歴史は過去の事実を物語るものですから、たとえ評価は違っていても事実は一つだと思うのですが、なぜこのような大きな認識の隔たりが生じるのでしょうか。

それは、「歴史は書き換えられる」ものだからです。

言い換えると、過去の出来事が恣意的に「創作される」ということです。

現在の韓国は、日本の敗戦後に国連の主導で総選挙が実施され、その結果、李承晩政権ができたのが始まりです。

日本が朝鮮半島を支配している頃、名前だけで実体はまったくなかったのですが、上海に韓国臨時政府という亡命政権がありました。

その政府の初代大統領に就任したのが、李承晩という人です。

ただし李承晩はずっと上海で活動していたのではありません。

臨時政府の中で大統領を罷免され、その後アメリカに渡り、戦争が終わるまで朝鮮半島に入ることはなく、アメリカでさかんにロビー活動をしていました。

そして、戦争が終わったあと、ロビー活動の成果として大統領の座におさまったのです。

端的には、アメリカに連れて来られる形で大統領になったのです。

そういったこともあり、韓国政府には当初から自分たちの力で国を作れなかったというコンプレックスがありました。

そこで、自らの正当性を主張するために、現在の韓国政府は、上海にあった臨時政府を継承するものだとしています。

これは、韓国の憲法に書かれ、そのような歴史教育を韓国の人々は受けています。

つまり、上海にあった臨時政府が日本の支配に対して戦った結果、現在の韓国があるという歴史が創造されたのです。

けれども、韓国は1910年の日韓併合条約締結以来35年間、1945年8月に日本が連合国に対する敗戦によって朝鮮半島を放棄するまで日本の統治下にあったというのが歴史上の事実で、決して日本と韓国との戦争によって現在の韓国が成立したわけではありません。

ところが、韓国では歴史上の事実を無視して、政権の都合の良いように歴史を書き換え、それを国民に対して教育しているのです。

このように「日本に戦争で勝利した結果、国が誕生した」ということを強調しているので、当然その教育は「反日教育」的内容な終始することになります。

もちろん、そのような教育を受けていれば、歴史認識が大きく異なるのも当然と言えば当然のことです。

これは、韓国だけのことではなく、日本でも「古事記」や「日本書紀」等の歴史書も権力の座にある人々に事実が都合よく書き換えられているという点では同じです。

このことから、私たちは「歴史とは勝者が描いたものであると共に、その時々の政治的な事情によって都合よく書き換えられるものである」ということを知っておく必要があります。

例えば、NHKの大河ドラマでは、主人公の側の視点によって物語が展開していくので、幕末期を題材として取り上げる場合、主人公が西郷隆盛や大村益次郎、坂本龍馬などの時は討幕派の視点から、一方徳川慶喜や新選組などの時には幕府側の視点から描かれます。

あるいは、関ヶ原の合戦を題材として取り上げる物語では、主人公が西軍に属していれば石田三成は忠誠心にあふれる人物、徳川家康は狡猾な人物として描かれます。

一方、主人公が東軍に属していれば、石田三成は狭量な人物、徳川家康は仁徳に満ちた人物として描かれます。

このことから、「歴史は書き換えられる」ものだということを知っておくと共に、一方的な視点から書かれたものを鵜のみにするのではなく、双方、あるいは様々な視点から事実を通して客観的に見ようとする姿勢が大切なのだといえます。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。