2019年6月法話 『豊かな人生は勝ち負けではない』(中期)

「豊かな人生」というのは、いったいどのような人生なのでしょうか。

経済的な面での豊かさをいうのであれば、国によって貧富の格差が見られますので、経済的に発展している国は豊かな国、まだ開発途上にある国は貧しい国ということになります。

けれども、このように経済面を豊かさの判断の基準に置くと、今度は豊かだといわれる国の中でも、またそこに豊かな人と豊かでない人という分け方が成り立ちますし、同じように貧しい国の中においても豊かな人と貧しい人とに分かれてしまいます。

これは、「豊かさ」を常に他との比較の中で語ろうとする在り方からおこることです。

そのため、国同士で貧富の差を見ると勝ち組に入っていても、国内で比較すると負け組に入ってしまうということもあったりします。

つまり、自分の状況は変わらないのに、他との比較の中で豊かかどうか、言い換えると自分は幸せかどうかを考えようとすると、常に一喜一憂せざるを得ないということになるのです。

このような私たちの姿をお釈迦さまは「猿智慧」という譬えで教えてくださいます。

ある海岸に近い鬱蒼と繁った森の中に、五百匹を超える猿が住んでいました。

猿たちは、毎日海を眺めていたのですが、その海は太陽の光によってまばゆいばかりの明るさと輝きを放っていました。

それを見ているうちに猿たちは、自分の住んでいるところが暗くて鬱陶しい森の中であることが耐え難くなりました。

そして、宝石を散りばめたように美しく輝いている海の中には、あの輝きにふさわしい生活があるだろうと考えるようになりました。

そして、ある一匹の勇気ある猿が、「私がどんなところか確かめに言ってきます」と言い残して、大きく輝いている波の中へ飛び込んでいきました。

ところが、その猿は飛び込んで行ったきり帰ってきません。

何日たっても帰って来ないため、他の猿たちは口々に

「あそこは美しいところだから、あいつはその幸せを独り占めにして幸福にひたっているに違いない。だからみんなを呼びに帰って来ないのだ。だいたいあいつは、ずるがしこいヤツだったから、今頃は独りで楽しく過ごしているんだ。あいつだけに独り占めさせてはならない。それ急いで行くぞ」

というわけで、五百匹の猿は、次から次へと波の山の中に飛び込んで行って、ついに一匹も帰って来なかった。

ということが、古い経典に説かれています。

まさに、私たちが豊かさや幸せを求めるときの笑えない痛ましいあり方が、端的に物語られているように思われます。

このように、私たちはいつも他人と比べる中でしか自分の豊かさや幸せを考えることができないのですが、それはいつも豊かさや幸せは他人のところにしかないものになってしまいます。

そうしますと、私たちは豊かさや幸せを求めて生きているのですが、そこには何があるかというと、豊かさや幸せはいつも他人の上にあって、しかもいつも遥か彼方にあるという事実です。

そのため、いつでも不平や不満を抱えながら、満ち足りない気持ちで他人を見てはそこに豊かさや幸せを見てうらやみ、いつもそれではやりきれないので自分よりうまく行っていない人を見て自分は豊かで幸せな方ではないかとごまかしたりしています。

「豊かな社会とは豊かな心で死ねる社会だ」と言われた方があります。

これまで述べてきたように、私たちは財産や個人所得が増えることで社会の豊かさを考えてしまうのですが、本当に豊かな社会というのは、死ぬときに豊かな心で死ねる社会だということをこの言葉は教えています。

確かに、どれだけ財産があっても、死ぬときに貧しい心や寒々とした気持ちで死ななければならないとすれば、その人にとってその人生はけっして豊かであったとは感じられないと思われます。

では、「豊かな心で死ねる」というのはどのようなことかというと、それは何かを信じられる心を持つということです。

家族が信じられたり、友人や社会が信じられたりする。

そういう何か信じられるということがなければ、豊かな心というわけにはいかないと思います。

一方、自分以外の誰かを信じることもなく、誰にも心を開くこともなく、すべてを自分で抱え込んでいるときは、けっして豊かな心にはなれないのだと思います。

このような意味で、生きていることの喜びは、決して孤独というところにはないのだと言えます。

つまり、本当の豊かさや幸せは、自分だけが…という生き方の中に見出されるものではなく、自分の周りの人が信じられ、心から語り合える仲間がいるとき、私たちはどんな悲しみにも耐えられるし、心から喜ぶことができるのです。

喜びは、共に喜んでくれる人がいなければかえって空しいだけです。

どれほど他人からうらやましがられるような出来事があっても、それを一緒に喜んでくれる人がいなければ寂しいものです。

一方、悲しみもまた、共に語り合える人がいれば、その悲しみに耐えていくことができます。

豊かな人生とは何か。

それが「勝ち負けではない」ということは、決して他人との比較で考えるべきことではなく、また孤独なところには成り立たないものだということです。

そして、信じられる心を持つことであり、具体的には信じられる人と共に生きることだと言えます。